17日より東京都現代美術館始め、4カ所で大きい展覧会が開かれます。このことも個人的には愉しいことですが、大谷の活躍の方がうんと愉しいです。歳のせいか、愉しいことは私事から離れて、世間の愉しいことの方がうんと愉しく感じるようになりました。もう自分のことは十分愉しんできました。だから個人的なことより個としての普遍的なものに対する愉しみの方が、嬉しく思うようになったんでしょうね。

 若い頃は自分のことで精一杯です。自分のことを優先させることがなくなるってこんな感覚に出合って、ちょっと自分でも不思議に思います。私は何者なのかとか、如何に生きるとか、そういうことを考える必要がなくなるのですよね。やっぱり老齢になって、何かを諦めるからでしょうかね。僕の年齢になると誰かと競争するとか、そんな意識がまず失くなります。そして、いい絵を描きたいという意欲も自然に消滅していきます。だから批評家に評価されたいという気持ちも全くないです。欲望が失くなったら生きる価値がないのではないかと、若い世代の人から言われそうですが、ホント、どうでもいいという感じになるんですよね。ギタギタしていた若い頃が懐かしく思われるほどです。大谷の活躍に匹敵するような喜び、愉しさはないとしても、このなんとなく無為的な創作生活が愉しいと言えば愉しいです。鮎川さん、こんなもんでよろしいでしょうか。

■瀬戸内寂聴「ペン一本で食べてゆけるのは奇跡中の奇跡!?」

 ヨコオさん、おめでとうございます。

 十七日から、東京都現代美術館で、ヨコオさんの大展覧会が開かれていますね。私は、こんな大展覧会は見納めだと思うので、這ってでも上京して拝見したかったのに、実際にその時になると、やはり全身がこんにゃくのように、だらしなくのびてしまい、脚がたちません。まなほは、車椅子に乗せてでも、引っ張ってゆくと言ってくれましたが、口でいう程、力があるわけでもないので、実行出来ません。行けないとなると、益々、展覧会の盛況がしのばれて、くやしく、羨ましく、切なくて、涙が溢れます。

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