ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、お裾分けをしてもらったオタマジャクシについて。
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ひと月ほど前、友だちのKちゃんから電話があった。モリアオガエルの卵を要らないかという。
「あの泡の塊か」「そう。池の木にぶらさがってる」
Kちゃんの家は京都府下にある。ここ数年、近くの池のほとりの木にモリアオガエルの白い卵塊がいっぱいついているという。
「カエルは生き餌しか食わんからな……」
気乗りはしなかった。モリアオガエルは育てたことがある。鮮やかな緑色の体色がきれいだし、カーン・カラカラという鳴き声もいいが、モリアオガエルに限らず、カエルは世話が大変だ。
「わるいけど、要らんわ」「そうか、またにしよ」
Kちゃんが電話をしてきたのは、わたしのカエル好きを知っているからだ。
二十年ほど前、いまの家に引っ越したとき、テニス仲間のSさんが転居祝いを訊いてきたから、「ヒキガエルが欲しい」といった。わたしは小学生のころ、ヒキガエルを三年ほど飼っていて、そのかわいさを憶えていた。
「ヒキガエルて、ガマガエルか」「そう、ガマガエル」「置物か」「ちがう。生きてるヒキガエル」「どこで売ってるんや」「たぶん、売ってへん」「分かった。探してみる」
それからしばらくして、Sさんが段ボール箱に入れたヒキガエルを持ってきた。大分の従弟が山の中で捕まえたのを宅配便で送ってもらったのだという。まことに面構えのいいヒキガエルだった。
そこからわたしはカエルにはまった。ニホンヒキガエルのヒロコちゃん(体長13センチ)、ベルツノガエルのベルちゃん、イエアメガエルのハニャコちゃんと、名前のあるカエルのほかに、ヒキガエルのこども三十匹(これはオタマジャクシから育てた)とアマガエル五匹ほどがわたしの仕事部屋にいて、そのカエルたちの餌にするミールワームやコオロギも衣装ケースで飼っていた。