
人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、歌舞伎について。
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コロナの中、なかなか観劇など出来ないのに、毎回堪能させてくれるのが歌舞伎である。今回は演目が鶴屋南北の東海道四谷怪談、例のお岩さまの出てくる怖い話である。
通常は二部制だが、コロナの今は三部制になっているので、六時からの開演だった。民谷伊右衛門が片岡仁左衛門、お岩が坂東玉三郎のゴールデンコンビ。昭和五十八年に孝夫と玉三郎で上演されてから三十八年ぶりの共演である。
以前も観に行った記憶はあるが、詳しいことはなにも憶えてはいない。特に肝心要のお岩さまの顔が醜く変化するのがどういう由来の劇薬のせいだったか……。
産後具合の悪いお岩に、隣の家から贈られたのは、血の道の病の薬だった。隣家には年頃の娘がいて、伊右衛門に横恋慕。薬はその恋を成就させるために、娘の祖父喜兵衛のはからいで贈られた劇薬。欲に目がくらんだ伊右衛門は彼女を嫁に迎えることにする。
このあたりが頭に入っていなくて、今回やっと納得がいったのだった。歌舞伎にはよくこうしたことがあり、不条理劇といわれるが、理屈に合わないことが多い。
お岩のすさまじさは髪梳きの場でこれ以上なく表現され、お歯黒をつけた顔はふた目と見られぬ。元が美女だけにその変容の恐ろしさ、それに加えて伊右衛門の仁左衛門の水もしたたる男ぶり。悪役はいい男に限る。傘張りをする浪人姿などふるいつきたいくらいだ。
仁左衛門さんは先代の時代からおつきあいがあり、まだ若い孝夫さんの頃からよく知っている。大病をしてやせ細ってどうなることかと思ったが、快復して立派な人間国宝になった。あんな美しい立役はもう出ないだろう。年を重ねてもあの清潔な色気は一向に失われない。
仁玉コンビは、現在歌舞伎でもっとも人気が高く、かえって配役としてあまり組まれなかった。