ジャーナリストの田原総一朗氏は、辺野古問題をめぐる沖縄の事情を説明する。
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今年は沖縄県下11市のうち7市で市長選が行われる選挙イヤーである。「辺野古新基地移設」に強く反対する「オール沖縄」勢力は、県知事選と参院選では勝利したが、市長選では7戦全敗となった。
最重要の那覇市長選挙をめぐっては、“変節”とも取れる興味深いことがあった。
現職市長の城間幹子氏(任期は11月15日まで)はオール沖縄の支援で当選していたのだが、5月の引退表明会見では、次の市長選について「自公対オール沖縄の構図は、那覇市ではなくてもいい」と私見を述べた。辺野古問題を争点にしなくてもいいのでは、という提案である。
城間氏は9月の知事選で玉城デニー氏の再選を支えながら、那覇市長選挙では自公推薦となった前副市長・知念覚氏を自らの後継として支持すると公表した。
かつてほど、オール沖縄も一枚岩ではなくなったのか、とも捉えられる。
だが、沖縄県民の多くが辺野古やむなし、と考え方を変えたわけではない。
何としても取り上げておかねばならないのは、日米地位協定の存在である。
日米地位協定は、いわば米軍による占領政策の延長で、これがあるかぎり、在日米軍はほぼ手前勝手なことができるのである。
たとえば、民主党政権で最初の首相となった鳩山由紀夫氏は、沖縄県民の大多数が普天間飛行場の移設先を国外、あるいは県外に求めていることを知って、「移設先は辺野古ではなく、最低でも県外にする」と宣言した。
鳩山氏は移設先として徳之島を考えていたようだ。ところが、そのことを知った外務省と防衛省の幹部が、鳩山氏に日米地位協定の説明をした。
日米地位協定によって、日米合同委員会なるものが設置されていて、その委員会で米国が定めた内容は、首相といえども否定できないことになっている。そして、その委員会で、米国は普天間飛行場の移設先を辺野古と定めている。首相といえども辺野古を否定はできないのだ、というのである。