判決後の2002年1月、弁護士とともに記者会見する三浦和義氏
判決後の2002年1月、弁護士とともに記者会見する三浦和義氏

 しかし、「疑惑の主」もしたたかである。週刊文春の連載から3カ月後、再婚した女性、子供たち、義母の5人でパリへ行き、さらにロンドンへ移って、アパートを借りた。ほどなく女性セブン誌が新居の様子を報道した。家賃9万円の3LDK、10坪の庭と車庫付きだという。同誌は「三浦和義さん、英国の夏の中から」と題する手記も連載した。

◆三浦容疑者は逮捕されたが……

 一方、警察の捜査はなかなか進まなかった。ロス疑惑の現場は米国であり、発生地の警察が捜査するという原則によって、1次捜査権はロス市警が持つ。日本は2次捜査権であり、両者の調整が常に必要だった。

 しかし、三浦社長の交際相手だった元女優(当時24歳)が「一美さんをハンマーで殴ったのは私です」とサンケイ新聞(当時)に告白したことを機に、事態が大きく動いた。警視庁が殴打事件を立件することになり、週刊文集の連載から1年8か月後、三浦容疑者と元女優を殺人未遂の疑いで逮捕した。この時から彼の拘置所暮らしが始まった。

 1988年10月、警視庁は一美さん銃撃事件で、三浦容疑者と、知人でロス在住のガンマニアの男性(当時56歳)を殺人容疑で逮捕した。犯行に使われたレンタカーの書類が廃棄される寸前に入手して走行距離を確認するなど、細かなデータをガラス細工のように積み重ねて立証する難しい捜査だった。

 私はすでに警視庁クラブを離れ、別の部署に異動していたが、現地での捜査を指揮したロス郡検察庁のルイス・イトウ主任検事に会いたくて、米国へ出張した折に、ロサンゼルスへ足を延ばした。イトウ検事は学究肌の穏やかな人で、六法全書を辞書なしで読むほど日本語に堪能だった。別れ際に、米国の今後の捜査方針を尋ねたところ、イトウ検事は「米国にはコンスピラシーがある」と答えた。「共謀罪」のことだ。日本の刑法にはないが、米国では共謀したこと自体を刑法上の罪として問うことができる。「白石千鶴子さんの事件も捜査しなければならない」とも言った。

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