ただし、どちらも容疑者が米国の国内か施政権下にいることが条件になる。三浦容疑者が米国に来ることがあるのか、当時の私には想像もできなかった。だが、20年近くたってから、私はイトウ検事の言葉を思い返すことになる。

1985年 ロス疑惑事件 カメラの放列の中、厳しい表情で東京地裁に入る三浦和義氏
1985年 ロス疑惑事件 カメラの放列の中、厳しい表情で東京地裁に入る三浦和義氏

◆刑務所からメディアに浴びせた訴訟の嵐

 日本では起訴された刑事事件のうち99.9%が有罪判決になる。無罪判決は千分の一しかない。ロス疑惑は、どちらも最高裁まで争われたが、殴打事件は有罪が確定したものの、銃撃事件は東京地裁で有罪判決、東京高裁では一転して無罪となり、最高裁は検察側の控訴を棄却して無罪が確定した。三浦被告は殴打事件の刑期を終えて、2001年に出所した。拘置所と刑務所にいたのは合わせて15年に及んだ。

 この間、彼は「噂の真相」誌に「東京拘置所日誌」を、月刊誌「創」に「検証“三浦報道”」を連載した。同時にテレビのワイドショー、雑誌、スポーツ紙など「ロス疑惑」を煽り立てたメディアを相手取って、名誉毀損訴訟を立て続けに起こした。一部の訴訟は弁護士を代理人に立てたが、多くは自分で訴状を書いた本人訴訟である。

 代理人の関係者から聞いたところでは、訴訟は400件を超えるらしい。判決の前に和解を求めたメディアが多いので勝訴の件数を正確につかむことは難しいが、本人は「勝訴率は80%以上」と語っていたという。

 これほどたくさんの訴訟を起こすには、どのメディアが、いつ、どんな報道をしたか、資料を集めなければならない。拘束されていては困難なはずだが、三浦被告は和解を望んだ各社に対して、ロス疑惑の報道スクラップを提供することを条件にして、和解のたびに訴訟の資料を増やしたのだという。

 判決の場合、損害賠償額は1件あたり数十万円、和解の場合は高めになる。勝訴率が80%だとすれば、単純計算で1億円前後の賠償金を得たことになる。一美さんに掛けていた保険金は保険会社に返還を余儀なくされたが、それに近い額だ。

 ◆20年後に暗転した「疑惑」の終章

 無罪判決と経済的な余裕を得て、出所後の生活は安定していたことだろう。だから海外へ旅行したいという気持ちを抑えられなかったのかもしれない。三浦元社長は2008年2月、米国自治領のサイパンへ旅立った。空港ではロス市警の捜査員が待ち構えており、飛行機を降りたところで逮捕された。

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三浦元社長の自殺で終焉