安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した奈良市の近鉄大和西大寺駅前の現場。事件から半年以上が経過した今も手を合わせる人の姿が見られる(photo 写真映像部・松永卓也)
安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した奈良市の近鉄大和西大寺駅前の現場。事件から半年以上が経過した今も手を合わせる人の姿が見られる(photo 写真映像部・松永卓也)

――主に社会的に孤立した男性が犯人になる無差別殺傷事件は、社会的な自死の瞬間まで被害者にマウントを取り続ける。そうしないと自死もできない。その背景には「強くあるべきだ」というマッチョな男性像の刷り込みとともに、弱者男性に居場所がなく、人や社会とつながれない鬱屈があると感じます。

男性は、例えばケガのリハビリ中も「あいつより俺の方が頑張っている」とか「俺の方が回復が早い」と競争したりしますよね。リハビリとは本当はそういう価値観から一回降りた人たちが自分の身体の障害や老いと向き合い、受け入れる過程とも言えますが、その時点でもマウントを取り合い、競争せずにはいられない。そういう深いところに食い込んだ「男らしさの規範」があるように思います。男性たちは女性のような「差別」はされていないけど、この社会から「抑圧」はされていると思います。男らしい生き方をしなければいけない、自立して生きなければいけない、痛みは我慢して泣きごとは言わず弱音は吐かない。そういう生き方が理想とされ、強要されることでさまざまな可能性を封じられています。

それからもう一つ大事なのは、弱者男性の問題は強者男性の問題でもある、ということです。弱者男性たちは全体から見ると少数派で、圧倒的な社会的影響力をもつのが経済的にも豊かで権威をもって家庭を支える「強者おじさん」です。先日、ある同世代の男性記者の取材を受けたとき、彼は「取材に来るまで弱者男性の問題を考えたこともなかった」と打ち明けていました。その人は取材を通して気づきを得たと言っていたので立派だと思いましたが、世の多くの男性たちはオルタナティブな生き方の必要を何も感じていないし、変化の必要性すら感じていないのかもしれません。

――定年退職すれば肩書もなくなるし、高給取りでもなくなる。体力的にも弱り、誰もがいつかは弱者男性になります。

しかし、その自覚がなかなか育たない。職場や家庭のポジションの中で培われた若い女性の部下や妻などの「異性からの承認欲求」を支えとする「男性性の呪縛」を呪いとすら感じていない、それが当たり前だと思っているおじさんたちの圧倒的な無感覚をどうすべきか。そのことと両輪で、どうすれば弱者男性が闇落ちしないで済むか、という問題を考えていくべきだと思います

(構成/編集部・渡辺豪)

AERA 2023年1月30日号に加筆

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