――というと?

正直、僕の言葉は優等生的で生ぬるい気がします。山上被告がツイッターで、「だが、オレは拒否する」と書いた。その「だが」って言葉は肯定的な否定とも受け取れます。ネット上のアンチフェミニズムの人は、僕の主張に対して「だが」という言葉は使いません。全否定するだけです。山上被告が「だが」という言葉を使ったことは、ある程度は杉田の主張を肯定しつつ、でも、それだけでは足りないんだっていうことだと思うんです。だから、山上被告の「だが」という言葉に対して、「だが君の犯罪は本当に正しかったのか」とこちらからもう一回、「だが」という言葉を押し返す必要があると思っています。しかし、それをしっかり引き受けるには、きれいごとでは済まないと思うんです。「民主主義社会で暴力は許されない」といったうわべの言葉でお茶を濁すわけにはいかない。彼が提起した問題にどう答えていくか、現時点で明快な答えは僕にはありません。

■強者おじさんの無感覚

――あえて山上被告の気持ちになって言うと、弱さを認めた瞬間、さらにもっと悪い立場になる、それが今の社会じゃないのか、というふうに思ったりもします。

自分の弱さを認めた瞬間に、サバイバルできなくなっていく、状況がより悪化することを散々強いられてきた人は少なくないと思います。00年代後半の反貧困運動やロスジェネ論壇は、苦しい立場にある男性たちのアイデンティティーを構築できる階級形成ができなかった。「#MeToo運動」をよりどころにつながった女性たちとは対照的です。

昨年10月に『男がつらい!』というタイトルの弱者男性論の本を出しました。その最終ゲラをチェックしているときに山上被告の事件が起きました。もう少し早く事件が起きていれば、あの本は出せなかったと思います。というのは、あの本で書いているのは日本のインセル的な弱者男性は、鬱屈した気持ちを自分より社会的に弱い存在に向けてしまうのはなぜか、その怒りは社会変革のために使うべきだという主張です。すると実際、鬱屈した気持ちを上位権力者に向けて放つ人間が現れた。山上被告の犯行自体、僕がこの本で書いたことに対する根本的な批判だと受け止めています。

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