――家族を壊すようなことをした旧統一教会が家族の大切さを説いている。それに保守政治家もコミットしていた、というのは倒錯的です。
山上被告のニヒリズムの源泉はまさにそこにあります。「愛国者」を自称する政治家や宗教団体が国を売り、家族を大事にしろと唱える人たちが家族を破壊していく。この旧統一教会をめぐって露呈したダークサイドそのものが、今の日本社会が抱えるニヒリズム、根幹のない虚無を象徴しています。
――そうなると、自分が鬼化するしかないというか……。
近代国家として一応は政教分離を主張している国の根幹に、カルト的な宗教が絡んでいたという、これは戦後史の闇にも連なる、日本の社会と政治の根本的なニヒリズムの問題でしょう。そんな虚無が足元に広がっている現実は誰も見たくない。
――その瞬間から自分の問題になりますもんね。
それに直面したくないから問題を矮小(わいしょう)化しようとする。それは山上被告の犯行を過度に英雄視することにも通じる気がします。つまり、自分たちが直面している現実を見たくないから、彼を英雄に祭り上げて現実から目をそらす。彼の行為を英雄でも悪魔でもなく、「人間」の行動として受け止めることがまず必要です。
■山上被告の肯定的否定
――山上被告はツイッターでたびたび「インセル」(望まない禁欲者・非モテ)に言及していました。彼は犯行の1年ほど前、杉田さんが文春オンラインで公開した「男の生きにくさ」に関する原稿にツイッターで応答しています。「『異性からの承認待ち』ではなく、『自分たちで自分たちを肯定する』という自己肯定の力がもっとあっていいのではないか」という杉田さんの呼び掛けに、山上被告は耳を傾けながらも「拒否する」と。そして結果的に銃撃事件の犯行に及んだわけですが、杉田さんご自身はどう感じておられますか。
文春オンラインの記事では、「覇権的男性性」と呼ばれる経済的に勝ち組で家族を支える覇権的な男性性とは異なる、勝ち組になれなかった「非正規の男性」たちが、自分たちのライフスタイルを肯定的にイメージしていく形を提案し、そうした弱者男性の多くがアンチフェミニズムや、アンチリベラルに取り込まれ、ダークサイドに落ちていくのを阻止する狙いがありました。男の弱さは自分の弱さを認められない弱さで、それがさまざまなゆがみを作り出しています。であれば、自分の中の弱さやトラウマを認められる、自分の弱さと共にある弱者男性になろうと主張しました。さえないモテない中年のおじさんたちがまったり過ごしたり、仲良く旅行したりすることを幸福な人生として肯定していいんじゃないか。そういうビジョンを描けないところが問題だと思って著書にも書いてきました。しかし今思うのは、果たして山上被告のような人間にそういう言葉が届くのかということです。