
国立競技場の再建に伴い、立ち退きを強いられた住民を描いたドキュメンタリー映画「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」。東京五輪開催から1年が過ぎた今、青山真也監督は何を思うのか。AERA 2022年10月3日号から。
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五輪と名が付けば「何でもあり」で、強引に進めることができる。そんな思いが心のどこかにあったので、(組織委員会元理事の)逮捕は非常に驚きました。
私は映画監督です。国立競技場の建設に伴って、立ち退きを余儀なくされた都営霞ヶ丘アパートの高齢者たちのドキュメンタリーを撮りました。五輪をきっかけに、住まいを奪われた人たちを撮った者として思うのは、五輪を進めるにあたり、立ち止まるべきポイントはたくさんあったはずなのに、考え直されることはなかったということです。
賄賂(わいろ)に関わった人たちはなんとしてでも開催したかったはずですよね。コロナ禍であろうが、社会の反応がどうであろうが、賄賂分の見返りを求めて開催させようとしたのではと思います。
霞ヶ丘アパートの立ち退きで印象的だったのは、住民の方たちは「移転したくない」と思いながらも、「オリンピックや東京都にはかなわないから。言うことに従うしかないからね」と諦(あきら)めの声をあげる人も多かったことです。高齢による身体的な事情もありました。反対運動をしていた人が「本当は意見を言いたいけど、もう耳が聞こえなくて」と引っ越しました。住み続けたいと言うことさえ、できなかった人たちがいました。
アパートの取り壊しから5年以上経ちました。かつての住民はすでに亡くなった方が多いです。立ち退いてすぐ、脳梗塞になり亡くなった方もいます。移転は大きな負荷をかけたのだろうと思います。都が出した移転先候補は3カ所あったので、住民たちはバラバラになりました。
霞ヶ丘アパートの跡地は、今も整地されていません。壁で囲まれており、みすぼらしく感じます。今後は公園になるそうです。アパートの取り壊しは、本当に必要だったのでしょうか。
アパート跡地の奥に、巨大なマンションが見えます。アパートが廃止になり、都道が拡張された結果、そのマンションは4倍近い容積の超高層マンションに建て替えになりました。お金と力がある人たちのために、スポーツイベントのために、公営住宅をなくす必要はなかったはずです。生活の基盤である住宅は、それほど軽いものではありません。
(編集部・井上有紀子)
※AERA 2022年10月3日号