Netflixシリーズ「新聞記者」は、1月13日から配信中

——これまで主演を務めた作品を見るときは、物語の中心にいる「自分」を目で追っていた。だが、「新聞記者」との向き合い方は、これまでとは少し違っていたという。

米倉:珍しく自分そっちのけで見た作品でした。一つの作品の中にいくつもの物語があり、登場人物たち一人一人に均等に、思いが積み込まれている。完成した作品を見て、「もっとこうすればよかった」と思うことはもちろんありますが、それよりもすべての背景が気になって、登場人物それぞれに感情移入してしまう。不思議と自分が出演している作品を見ている感じがしなくて、それこそがこの作品のいいところではないか、と感じました。地上波のドラマではやはり主役の動きが中心になることが多いので、そうした意味では「映画」に近いのではないかと思います。

——2020年、自身の会社「Desafio(デサフィオ)」を立ち上げた。「新聞記者」は、独立してから取り組んだ作品だ。

米倉:おしゃれにカッコよく、という要素はあまりなく、決して存在感のある役柄でもないので、そうしたものが世界配信になると思うと、「あれ? もっと自分のことをアピールした方がよかったのかな?(笑)」なんて思うこともあります。でも、ひとつの挑戦としてすごく光栄なことだなと思っています。

Netflixシリーズ「新聞記者」は、1月13日から配信中

■「転んでもいい」に変化

米倉:「デサフィオ」とは、スペイン語で「私は挑戦する」という意味なのですが、初めてのネット配信作品で、藤井組という初めての組に参加することができて、そうした作品が「私が、私が」と自分を強調するような作品ではなく、一つの作品として見てもらいたい、と思えるというのは素直にうれしいですね。

——舞台「CHICAGO」では、ブロードウェイミュージカルにも挑んだ。そんな米倉にとって、「挑戦する」とはどのような意味を持つのだろう。

米倉:「あの人がやっていていいな、と思うものは私もやってみたい」と思う方で、今までは走ってでも転んででもいいからつかみたいと思っていたのですが、そろそろ疲れてきてしまったこともあって(笑)、いまはもう少しゆっくりやっていってもいいかな、と思うようになりました。

 とはいえ、ハードルが高かったり、やったことがないことをやってみたかったり、という好奇心みたいなものは今もあります。「安定」は求めていないですね。これからのことはまったく決めていないけれど、「これはやってみたい」ということが見つかり、心惹かれる何かがあれば、これまでの自分を解き放ってそちらに向かっていってしまうかもしれません。

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