人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、ジャーナリストの扇谷正造氏について。
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ある時期、毎年秋から冬にかけて、東北電力のスポンサーで東北地方へ講演に行った。いつも、扇谷正造氏が御一緒だった。私をコンビに指名して下さったのは朝日新聞社時代に「週刊誌の鬼」と言われ、部数を十万部から百五十万部にまで伸ばした、扇谷氏だったのである。
ジャーナリストの大先輩であり、評論家として飛ぶ鳥を落とす勢いの扇谷氏と、NHKをやめたばかりの駆け出しの私。いつも暖かく接していただいた。
東北電力の傘下の県はほとんど巡ったはずである。東北地方は、秋から冬は農閑期で集客にもちょうどよく、いつも満員だったと記憶している。扇谷さん自身も宮城県の御出身。朴訥(ぼくとつ)だが誠実なお人柄で、内に熱いものを秘めていた。
講演会は何年にもわたったが、秋も深くなるとそろそろまた、御一緒に旅ができると楽しみに待つようになった。
ある年の冬、新潟県をまわることになった。母は新潟出身でもあり、たしか新潟は北陸のはずと思って扇谷さんに伺ったら、新潟は東北電力管内に入るのだと教えていただいた。
雪の多い地であり、心配していたら案の定、雪が降った。新潟県の五泉市というところで講演会があったのだが前日に現地入りし(当時は新幹線などなく)、翌朝、凍りついた雪を踏みしめながら、御一緒に朝市を訪ねた。
講演の主催者から、
「ここの朝市は観光用ではなく、土地の人たちのためのものだから、ぜひ」
決して多いとは言えない店を一軒ずつ見て歩いた。長靴に角巻姿の土地のおばさんたちが、自宅でとれたものを持ち寄っていた。なんともいえない方言まるだしの会話がとびかう。まだ泥のついたままの野菜やら、手作りのワラ製品など買いたいのは山々だったが、東京まで持ち帰ることを考えると手が出なかった。