一方、鉄幹と登美子の関係を察しながら、自分の想いを抑えきれない晶子。滝野と入れ替わるように、鉄幹と暮らし始める。そして生活に追われながら、歌の才能を開花。『みだれ髪』を上梓し、毀誉褒貶を浴びながら、女性歌人の地位を確かなものにしていくのだった。また鉄幹と結婚して、与謝野晶子となる。

 作者は3人の女性の情念を、丹念に描きながら、その人生を鮮やかに表現する。鉄幹と別れ、新たな道を選んだ滝野。やはり鉄幹を見限ろうとしながら、なかなか実現できない登美子。やっと妻の座を得ながら、鉄幹に振り回され、生活のために文章を量産する晶子。要所で彼女たちの歌を巧みに使いながら、その心の奥底を抉り出す、作者の透徹した眼差しと手腕が素晴らしい。

 しかも物語そのものが、鉄幹や晶子の作品論・作家論になっている。特に晶子に関しては、深い考察がなされていた。一大センセーションを巻き起こした「君死にたまふこと勿れ」を書いた、晶子の心情。浪漫主義から自然主義へと変わりゆく流れが、作風に与えた影響。執筆した小説の抱える弱点。そしてラストで明らかになる、創作の源泉にあったもの。本書の晶子像は作者の解釈であるが、これが本当だといいたくなるだけの、説得力があった。

 なお本書の前半には、与謝野家の女中になり、滝野を娘のように思っている“もよ”の視点も挿入されている。無学だが逞しく生きるもよの、鉄幹と晶子評は手厳しい。しかし、庶民の素直な感想は、こういうものであろう。文化の外側にいる人物の視点も入れ、作者は鉄幹と、彼を愛した3人の女性を、多角的に捉えたのである。

週刊朝日  2022年8月12日号