今月20日、長年、東京港のシンボルとして親しまれてきた白い三角屋根の「晴海客船ターミナル」(東京都中央区)が閉館する。これまで国内外のクルーズ船を数多く受け入れてきたほか、海の向こうに都心のビル群が望めるデートスポットとしても親しまれてきた。ゆかりのある方々に話を聞いた。
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晴海客船ターミナルがオープンしたのは1991年。バブル経済が熱を帯びていた80年代、東京湾岸、いわゆる「ウォーターフロント」の開発が盛んに推し進められた。その目玉の一つが晴海ふ頭の再開発だった。
「晴海に国内外の豪華客船を受け入れるシンボリックな施設ができたことで、東京港が華やかになると思うと、とてもうれしかったですね」
そう語るのは宮永泰博さん。晴海客船ターミナルの開業当時、東京都港湾局港湾経営部の職員を務め、オープニング式典の準備を含めて、ターミナルの管理運営のすべてに携わった。
■多目的な海の玄関に生まれ変わった
バブル最盛期の89年、日本の客船文化は新たな時代が始まった。「ふじ丸」(商船三井客船)「おせあにっく・ぐれいす」(昭和海運)が建造されたのをはじめ、翌年までに計9隻のクルーズ船が新造された。
晴海客船ターミナルの開業は、そんな時期とも重なり、晴海の客船バース(係留施設)には大小さまざまな外航船、内航船が来航し、年間のべ約140隻が停泊したという。
「いまは10万トン級の大型客船にお客様をたくさん乗せて、クルーズを楽しんでいただく、というカジュアル路線が主流になっていますが、当時の客船はもっと高級路線でした。商船三井客船の『にっぽん丸』『ふじ丸』、日本クルーズ客船の『ぱしふぃっくびいなす』などがよく来ていましたね」と、宮永さんは振り返る。
ちなみに、現在のターミナルの前身である「晴海船客待合所」は、検疫や税関など、入管業務が主体の2階建ての小さな建物で、乗船客以外はほとんど訪れることのない地味な施設だったという。