批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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ロシアのウクライナ侵略が始まった。
プーチン・ロシア大統領は2月24日、ウクライナに対する軍事作戦を宣言、同時にキエフやハリコフを含む複数都市への攻撃が開始された。本稿執筆時点ではまだ反応が出揃(そろ)っていないが、国際社会は厳しい対応を求められるだろう。
筆者は国際政治の専門家ではない。けれどもウクライナには少し縁がある。経営する会社でチェルノブイリへのスタディツアーを開催し、5回ほど訪問したことがあるからだ。
最初の訪問は2013年。当時は親露政権でキエフ市内もロシア語の看板は珍しくなかった。同行の通訳もロシア語を話していた。その状況が14年に革命(ユーロマイダン)が起こるとガラリと変わる。
親欧政権が誕生し、東部で親露勢力による独立戦争が起こると、街はみるみるナショナリズムに覆われていった。公共空間からロシア語が消え、キエフ中心の広場には愛国スローガンが大きく掲げられ、世界遺産の寺院の壁には遺影が並ぶようになった。筆者はほぼ1年おきに同国を訪れていたのだが、その変化は急激だった。現地助手として雇った日本アニメ好きの若者が、突然激しい口調でロシアを非難し始め虚をつかれたこともある。
むろん変化の責任はロシアにある。それは侵略に帰結したことでも明らかだ。けれどもロシアとウクライナは文化的にきわめて近い。言葉も似ている。それを知っているだけに、兄弟国の一方が他方を急速に憎み始める過程は見ていてつらいものがあった。