段田安則(撮影/写真部・戸嶋日菜乃)
段田安則(撮影/写真部・戸嶋日菜乃)

「もし自分が演出家だとしたら、言葉が通じない俳優を演出するのは大変だろうなと思うのですが、俳優としては、『優れた演出家というのは、言葉じゃないところで正確に俳優の感情を掴めるものなのだな』と感心した経験が何度かあります。初めて外国人演出家の演出を受けたときだったか、『どうせ伝わらないだろう』と僕が軽々しく発した台詞を、『いやいやそうじゃなくて』と即座に注意されたときに、『あ、この人は俳優の根っこを掴んでいるな』と思った。むしろ、言葉が通じないほうが、ごまかそうとしない分……少し大げさに言えばですが、感覚が研ぎ澄まされていくような気がしました。今回、まだショーンさんとはリモートでしか会話してないんですが、印象としては陽気な方で。何か、引き出してもらえるものがあるんじゃないかと期待しています」

 この、悲劇的な結末を迎える物語が、なぜ人々の心を揺さぶるのか。なぜ、多くの演出家が上演を切望し、多くの俳優が、ウィリーを演じたいと思うのか。段田さんが考えるこの作品の魅力とは?

「“等身大”というと漠然としているかもしれませんが、ウィリーの抱える苦悩や絶望は、ある程度年齢がいった人であれば、誰もが共感できるような気がします。ウィリーは、仕事だけでなく家庭においても、理想と現実の間で悩み、絶望し、追い詰められていく。現実世界で、そういう“何とも言えない苦しみ”を味わったことがある人は多いと思うんですが、この戯曲が素晴らしいのは、その“何とも言えない感情”が、上手に言語化されている点です。『本当はこうしたほうがいい』とわかっているのに、できない。そのやるせなさ。70年前の戯曲ですが、『ウィリーは私かもしれない』と思ったときに、現実世界の“ぬるさ”に感謝する。そんな、一種のセラピー的な効能がある作品のような気もします」

 俳優としての自分を語る以上に、段田さんが、「困った!」を連発したのが、日常の過ごし方を聞いたときだ。実践している健康法はほとんどなく、何十年も続けているインドア生活も、今は「コロナ」のせいにしている。

次のページ