「生きている人間の腹をさいて内臓に触れる。本人ですら触れられない、すごくプライベートなものを他者が触って切り貼りするんです。救命のためですが、必要なことなのに人の何かを侵害しているような気持ちになりました。その衝撃をオペ室で叫べていたら小説を思いつかないで済んだのかもしれません」
医療現場や今までの生活でたまったものを、物語という形で発散させるしかなかったのではないかと自己分析する。頭の中の映像では人の顔もくっきり見える。
次々に浮かんできて医師の仕事にも差し障るようになり、3年前に勤めていた病院を退職。小説に専念するようになった。
「なんでこんなことになったのか、と思いました。物語は自動的に浮かんでくるけど文章化するのは自力です。小説を読んでこなかったので文章化するのに苦労しています」
暗くなってから、10キロほどの散歩をする。
「あまりにも浮かんでくるときは地に足をつけている感覚がなくなってきて、夜も眠れなくなる。歩いてバランスをとっています」
浮かんでくる物語の展開にショックを受け、「私の盲端」の執筆中に腹痛と下痢に見舞われた。並外れた感受性を持つ書き手の誕生だ。(ライター・仲宇佐ゆり)
※AERA 2022年4月11日号