批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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ウクライナの首都キーウ近郊ブチャで、一般市民の遺体が数百体発見されたことが世界に衝撃を与えている。拷問の痕が残る遺体や強姦(ごうかん)後焼かれたと思われる遺体があり、犠牲者のなかには10歳前後の少女もいるという。
虐殺はロシア軍が実行したと考えられる。明らかな戦争犯罪だ。停戦のかたちがどうあれ、ロシアは厳しく責任を問われることになろう。プーチン政権の維持は国際社会との断絶を意味せざるをえない。
同時に私たちが改めて認識すべきは「これが戦争だ」ということである。今世紀に入り、新時代の戦争はドローンやハッキングに主導されるスマートなものに変わるという論調が一部にあった。今次戦争でもSNSの情報戦が華やかだ。
けれども現実に起こったのは数千年前と変わらない拷問と強姦と虐殺である。開戦当初は侵略軍に抵抗するウクライナ市民の勇気が称(たた)えられた。しかし市民が戦争に参加するとは市民が犠牲になるということだ。ブチャの惨劇はその過酷さを明らかにした。
ゼレンスキー・ウクライナ大統領はロシア軍の行為を「ジェノサイド」と呼んでいる。この言葉は20世紀に生まれた特殊な用語で、特定の民族集団の絶滅を目指した計画的な行動を意味している。単に市民が大量に殺されただけでは使うことができない。裏返せば前世紀は、そんな専門用語が編み出されるくらい戦時の市民虐殺が相次いだ時代だった。同大統領は5日の国連安保理でブチャ虐殺を「第2次大戦以来もっとも凶悪な戦争犯罪」と形容したが、実際にはベトナムもコソボもあった。歴史は蛮行で満ちている。スマートな戦争などないのだ。
3月末にはロシア軍の一部撤退もあり、停戦が模索され始めていた。空気は一変したが、国際社会は調停の努力を諦めるべきではない。ブチャは氷山の一角かもしれない。東部や南部の占領地域でも虐殺が生じている可能性がある。まずはそれを止める必要がある。
戦争はひとを狂わせる。だから怖い。狂気の連鎖を止めるには戦争を止めるしかない。国際社会はその原点にふたたび戻るべきである。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2022年4月18日号