「人間は、相手が死んで本当に自分の中に入ってきてくれるまでは愛する他者といっしょになることはできない」という一文がある。父の妻(「ぼく」にとっての母)が、死んで初めて、父に働きかけた力の様相を、「ぼく」が語り直す場面である。人と人は断絶しており、狂気なくして生き続けることは不可能だが、死が唯一、そこに解放をもたらし、関係を変えるものとして捉えられている。ある人の本性は、死に赴く段になって初めて表に現れるとも。

 続く第二章は、患者の一人であるザウラウ侯爵による錯乱した独白である。聞き手は「ぼく」で、そのほとんどが、「『……』と彼は言った」という直接話法によって記述されている。途中、侯爵の息子(留学中)が書きつけた言葉というのが入ってきて、「『……と息子は書きます』と侯爵は言った」と、入れ子状の記述が展開する。なぜこんな複雑な書き方をしなければならなかったのか。ここに至ってはユーモアさえ覚える。

 侯爵は、峡谷のどん詰まりの高所、ホッホゴーベアニッツに城を構えて暮らしている。馴染みのない地名がたくさん出てきて、その位置関係が私には掴めなかったが、いずれも作中に大事なものを書くように置かれている。風土とその自然が人間の精神に直結し、心の土台を作っていることを思い出させてくれる書きぶりだった。

 第一章後半、巨大な鳥籠に飼われる彩色鮮やかな鳥たちが、敵意を剥き出しにし、狂い鳴きした挙句、人間に首をへし折られ殺されていく場面がある。小説の中で色が施されているのはここだけ。生きる喜びをへし折られるようだ。怖い。だがとてつもなく美しい。

週刊朝日  2022年5月20日号