ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「KAKKO」について。
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私は小中の4年間、父の転勤でイギリスに住んでいました。バブル絶頂の1987年から湾岸戦争が勃発した1991年までです。まさにイケイケドンドンだった日本とは反対に、当時のイギリスは景気が悪く社会も停滞気味でしたが、80年代後半の洋楽をダイレクトに消費できたことは、私の人格にかなりの影響を与えました。
中でもBaBeやWinkなどのカバーヒットでも馴染みの深い「80’sユーロビート」。現地イギリスでは、Dead or AliveやBANANARAMA、リック・アストリー、カイリー・ミノーグといった、今も「バブルの象徴」として語られる歌手たちがチャートを席巻し、彼らを手がけるPWLというレーベルが一大ムーブメントに。その「PWLサウンド」の最盛期がまさに87年・88年・89年だったのです。次々リリースされるPWL関連の新曲をラジオやテレビでチェックし、小遣いをやりくりしながらCDやレコードを買う。毎週水曜日にはチャートが掲載されるアイドル誌を駅のニューススタンドで買うことも中学時代のルーティーンでした。
やがてブームにも翳りが見え始めてきた1990年。街の大型レコード店へ繰り出した私は、エントランス正面の特設棚に陳列されたPWL新人歌手のレコードを手に取りました。ジャケットに映っているのはアジア系の女性で、大きく「KAKKO」という文字が。棚の脇にプロフィールが貼ってあり、本名は「Kakuko Suzuki」、出身は「Kobe, Japan」と書かれています。当時は松田聖子海外進出直前でしたが、よもやPWLから日本人がデビューするなど寝耳に水だったため、驚きはもとより、とても誇らしい気持ちでシングルを買ったことを憶えています。しかし、その曲『We Should be Dancing』はヒットせず、数カ月後にシングルをもう一枚出すもKAKKOの消息はそれきり分からないまま、私も中学を卒業し帰国することに……。