やまざき・あきひろ/1995年、埼玉県鶴ケ島市出身。順天堂大学勤務。生まれつき右手首から先がなく、F46(上肢障害)男子やり投げで60m65の日本記録を持つ。小学3年から野球をはじめ、高校2年の冬にはエースナンバーを背負う。大学1年のときに世界身体障害者野球大会に出場。日本代表を準優勝に導き、最優秀選手にも輝いた。2015年にやり投げに転向、翌年には日本新記録を出した(写真/写真部・東川哲也)
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 東京パラリンピックは8月30日、陸上の男子やり投げ(F46)があり、山崎晃裕(25)が出場する。AERA2021年1月4日号のインタビューを紹介する(肩書、年齢は当時)。

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 助走路に立った山崎晃裕は、左手にやりを構えた後、いったん右肩を下げ、首を右に傾けてから走り始める。

「僕は右腕の手首から先がなく、軽いので自然と右肩が上がり、投射角が大きくなりすぎる。だから意識して右足に体重を乗せるようにしています。パラアスリートは自分を客観視しなければいけない」

 幼い頃から、できないと思われることに挑戦するのが好きだった。紐の靴をねだり、履けるまで練習した。選んだスポーツもサッカーではなく「片手の人間が一番不向きなスポーツ」の野球だった。

「人の2倍、3倍頑張れば追いつけると思った。ハンデがあるから面白い」

 壁にぶつかったときは、ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した同じ障害のジム・アボットを参考にした。

 投球の際、右腕で抱えたグラブから左手がはみ出し、相手チームに球種を盗まれて打ち込まれたこともあったが、投球の途中で球の握りを変えて克服。高校時代は一時、エースナンバーも背負った。

 やり投げに転向後は野球で培った「腕のしなり」を生かして、すぐに日本トップに立った。2017年から3年計画で上半身の筋力アップに取り組む中で柔軟性が犠牲になり、19年は伸び悩んだが20年、新型コロナウイルスの自粛期間に河川敷で石を投げる中でしなりの感覚も取り戻し、剛と柔、両方を手に入れた。

「アボットのおかげで夢を持てたように、今度は僕が誰かのアボットになりたい」

 だから、金メダルは誰にも譲れない。

(編集部・深澤友紀)
 
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■陸上競技

 基本的なルールは一般の競技と同じ。車いすや義足・義手を使う選手、視覚障害、知的障害などさまざまな障害のある選手が参加するため、障害の種類や程度でクラスを分けて競技を行う。投てき種目は五輪と同じやり投げ、砲丸投げ、円盤投げのほか、パラリンピック独自の「こん棒投げ」がある。ボウリングのピンに似た形の棒を投げ、握力がなくても競技に参加できる。

※AERA2021年1月4日号に掲載

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