「クイーン展ジャパン」に同行していた前出の東郷さんは「すっかり一般のお客さん化していたわね」と笑顔で彼らの様子を教えてくれた。ブライアンは入り口にあった初来日時の映像に見入って足がピタッと止まってしまい、ロジャーは展示されていた「ミュージック・ライフ」誌が撮影した写真をスマホで細かく記録していたそうだ。
「これまで来日しても、忙しくて観光もろくにできなかった。今回は取材も少なく、余裕ができたから、日本を楽しんでるんじゃないかしら」(東郷さん)
確かにブライアンは京都大学大学院理学研究科附属花山天文台など、寸暇を惜しむように興味のある場所を回っていた。そんな姿もファンにはたまらない。
デビュー直後のクイーンも知る60代の女性は、スタンド席からの鑑賞で、観客とクイーンに深いつながりを感じた。印象深かったのが、ブライアンがアコースティックギター1本でステージに立ち、日本だけで演奏される「手をとりあって」から「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」「’39」へと続いたシーンだ。一心にブライアンを見つめ、共に大きな声で歌う観客に「これほど多くの人に愛されているバンドだったのか」とあらためて気づいたという。
女性には、家族連れが目についたことも印象に残った。孫、母、祖母と3世代の家族を見たときは、世代を超えて愛されるクイーンのすごさを実感した。
「AI美空ひばりが議論を呼んだように、亡くなったアーティストの音楽をどう生かすかという時代になってきてますよね。私はクイーン+アダム・ランバートのステージは、“デスビジネス”の理想型ではないかと思うんです。フレディをリスペクトしながら、クイーンの音楽を後世に伝えるために考えられるすべてのことに、果敢に取り組んでいる。相当な覚悟を持っているんでしょうね。だから、私たち観客も受け入れ、納得できるのだと思います」(60代の女性)
私たちは彼らと次にいつ会えるのか。ブライアンたちの年齢を考えると確率は年々、下がる。しかし、クイーンと日本のつながりは、今回、さらに深く強くなった。この関係は、時間と空間を超えて、ファンの心の中にずっと残っていくのだろう。(ライター・角田奈穂子)
※AERA 2020年2月10日号