朝日新聞出版より、2月20日発売予定
暗渠(あんきょ)パラダイス、ときいて、何を想像されるだろう。わけがわからない? 暗渠がたくさんあって楽しそう、と思っていただければ、まだいいほうかもしれない。
暗渠とはなにか。従来の意味は「地下に埋設された水路」であるが、本書ではそれを「かつて川だった場所」ととらえる。この、かつての川というものは、じつは大抵、どのまちにも潜んでいる。
暗渠に、強く魅せられつづけてきた。そこに川があった、と知ったとたん、風景が劇的に変わる。ただの路地が、探検の舞台となる。規則正しいまちなみからはみ出た、川のたましいの声に耳を傾ければ、情緒豊かに時の地層が現れる。川を介し、他のまちや、故人ともつながりを感じる。なじみのまちに、さらに愛着が湧く……暗渠の効能は絶大だ。
暗渠パラダイス。実はこのタイトルを考えることに、とても苦労した。「暗渠」をどこかにつける、ということは決まっていたが、問題は残りだった。思いつくまま、列挙したそのなかで「暗渠パラダイス!」は光っていた。だが、どうもおちゃらけていたし、「パラダイス」の辞書的な意味は、苦しみを省いたものであるらしい。いっぽうわたしが暗渠に感じているものは、多義的だった。そのなかには多分に、苦しみや悲しみ、死や喪失といったものが含まれている。
芝木好子『洲崎パラダイス』は、はたして天国のような小説か? そう考えることにより、ようやっと腹が決まった。「苦しみも悲しみも含めた、あの世のようなもの」や、暗渠を介して味わえる自分自身の充実した状態、暗渠のことばかり書き連ねたまさにこの本のこと、そんな複数の意味を「パラダイス」に込めることにした。「!」は、それらの強調であり、暗渠に対するなみなみならぬ想いの洪水でもある。
要するに、暗渠パラダイスは、辞書的な定義から外れた言葉である。信用ならない言葉がタイトルのこの本は、いったい誰に手に取ってもらえるのだろうか。心配にもなる。
しかし前述のように、暗渠の効能は絶大なのである。近年は、さらなる効能も感じ始めている。かつては自分の大本を探るかのように、縁の深いまちを執拗に歩いていたが、最近は遠くのまちからも、暗渠のことで声をかけていただけるようになった。そうすると、その土地や人への愛着が生じ、新たな暗渠との出会いに心躍るようになる。これまでのメソッドを用いて調べ、成果を地元の人たちと共有する。皆で記憶を掘り起こし、その土地が豊潤な煌めきをもって見え出す、あの瞬間はなんともいえない。忘れられない、愛すべきまちが増える。それで、新しい土地にも積極的に出かけるようになっている。