東京の春を演出し、人々の暮らしのかたわらで輝くのが染井吉野である。東京人は染井吉野という花園で生まれ、育つ――。「アサヒカメラ」3月号から、写真家・宮嶋康彦さんが写した「東京の桜」をお届けする。
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桜と人が織りなす情景は、カメラを持った私に無限の楽しみを与えるようになっている。
東京の桜の名所は江戸時代から続く場所が多く、桜の時期には大勢の花見客でにぎわう。筆頭は上野公園だろう。ほかにも墨堤(隅田川堤)、九段、新宿御苑、飛鳥山、御殿山、小石川植物園、小金井公園など数多くの花見でにぎわう場所がある。
東京の桜といえば染井吉野。江戸時代に誕生した園芸品種こそ、東京の桜を代表する品種である。
■染井吉野への愛
一部の人からは、染井吉野は風情がない、とか、日本の伝統を考えるとき気品に欠ける、などという意見が聞かれる。
私自身もそうだった。桜に関する古歌や江戸期の文人、絵師などの表現に耽溺(たんでき)した時代は、染井吉野を“園芸品種”のクローンとして創作の対象にはしなかった。花の豊かすぎるボリューム感も派手すぎる、と敬遠した。そのような宿命を負って生まれた桜といえるかもしれない。
しかし、東京でいっしょに暮らしてみれば、短所と感じていたことも、次第に気障りではなくなって、あばたもえくぼに見えてくる。なんといっても、花見の人々が、染井吉野が背負った宿命をよそに、満面の笑顔を花に向けている。この国は元来、八百万(やおよろず)の神を受け入れてきた精神文化が特徴である。人の手で掛け合わされた植物だろうが、派手であろうが、花を愛でる本質を見失わないらしい。人々の桜愛に底流しているのは日本人の心性ではないかと思うのだ。
全国に撮影旅行をしていれば、染井吉野ばかりが目に入る。何しろ成長が早い。何度も書いてきたことだが、おさらいしておこう。
■東京の桜の起源
誕生の土地は江戸染井村(現東京都豊島区駒込付近)。豊島区によれば、伊藤伊兵衛政武(1676~1757年)という植木商が造り出した栽培品種という。政武は江戸城の御用植木師を務めていた。政武の働き盛りの世は8代将軍吉宗の時代である。