11月12日より、立冬次候「地始凍(ちはじめてこおる)」となります。地が凍りはじめる、つまり霜が降りはじめる時期という意味。暦上はもはや冬。木々の葉も順次色づいて落ち葉が積もり、次第に冬の足音が近づいてきます。そんな晩秋から初頭のこの時期、目立つ果樹と言えば柿。庭木や道端、公園などによく見かける柿の木ですが、まるで忘れ去られたように一つ二つ、熟柿が枝先にぶら下がっているのを見かけることがあります。これを「なり木の木守り」といいます。どんな意味があるのでしょうか。

晩冬から初冬の日本の景色に欠かせない美しい柿の実は、なぜ取られずにぶらさがっているのでしょう

元祖七十二候の宣明暦から、大和暦の貞享・宝暦寛政・略本と、一貫して立冬次候は「「地始凍」。寒冷地や山間部では初霜初雪の便りも聞かれますが、暖地や平野部はまだまだ暖かい日が多く、霜の降りる基準となる地上気温3℃になるほどには冷え込むのは早すぎるように思われますし、実際東京の近年の初霜平均は12月中旬です。けれども本朝七十二候が編纂された江戸時代は、現代よりも江戸市中は一ヶ月ほど初霜が早かったようで、まさに暦どおりに今頃から霜が降りていたのですね。冬に向かい次第に木々も色づく中、柑橘系の果樹とともに目立つのが柿の実。蝋質のつやつやした実は太陽をぴかぴかと反射し、空の青までも映しこんで、美しいものですよね。
古くから飢饉に備えて庭木として植えられてきた柿は、同じく庭木にされるビワや橘や梅、ざくろ、野生の栗やアケビなどと並んで、私たちの身近で親しまれている果樹ですね。
道の辻や軒先で、枝をしならせて朱の実が照り映えているさまは、典型的な秋の里の風景です。約100年前に当たる20世紀の初頭ごろの記録によると、日本全土の果樹総生産の42%を柿が占めるほど、日本人にとっては果物と言えば柿、というほど生産され、食べられていました。
ところでこの時期、熟した柿が全部収穫されることなく、一つ二つ枝先に残されたままになっているのを見たことがある方もいるのではないでしょうか。
これが「なり木の木守り」または木守り柿、子守り柿(地域によってはキマブリとも)といわれるもので、取り忘れたのではなく、収穫の際「あえて」実をすべて取らずに残すという古くからの慣わしです。残し方は、一つだけという地域もあれば、数個、あるいは敷地から枝が出た部分に実った実は残す、上部のほうの実と下のほうの実を少し残す、と、残し方はさまざまです。ではなぜわざわざ実を残すのでしょうか。

盗まれることは縁起がいい?トミの思想とは

木守りは
木を守るなり
鴉のとりも鵯どりも
尊みてついばまずけり
みぞれ待ち雪のふる待ち
かくてほろぶる日をまつか(三好達治「残果」)
と、詩人・三好達治にも歌われた木守りの柿。
柿が大陸からわたってきたのは奈良時代ごろといわれていますが、それ以来さまざまな生活用途のある柿は霊木とされてきました。
長野県一帯では、亡くなった人の魂は柿の木に降りて帰ってくるといわれます。つまり、柿の木を人間の魂と共鳴する魂を持つ木とする信仰がありました。そして、果実はその木の魂が具現化したものだととらえられてきたのです。
果実とはその木が一年のうちに実らせた魂であるととらえられ、その果実を根こそぎ奪い取るのは、その木の魂を取り去ってしまうことと同様でした。ですから、魂の宿る木として存続するために、一定数をそのまま残しておいたのです。
この風習は仏教の法話と結びつくと、鳥や飢えた旅人、野生動物が命を繋ぐために残しておく慈悲の心と伝えられましたし、実際そのように祖父母から教えられて育った人も多いようです。
木守りの柿は、高知県ではこれを「トミ」または「トビ」と言い、持ち主の家の者が取ることは許されず、鳥や、あるいは通りすがりの柿泥棒に取られることはよしとされました。盗まれることは縁起が良いとされたのです。これは、古い民間信仰「オウツリ」(お移り)に由来するもので、現代の「お釣り」の語源となっているものです。収穫の一部を、その収穫をもたらしてくれた自然神、田の神に「返す」ことで、翌年以降の豊作を祈願する風習です。ここから、人間同士でもよそから食べ物などをもらった際、入れてもらった器にちょっとしたマッチ箱などの日用品を入れて返却する日本古来の習慣は、このオウツリから派生したものです。
鳥は空を飛んで天界と通じた生き物とされたことから、鳥に果実を捧げることは神への供物となることを意味し、また神は貧しいさすらい人の姿を取って世俗に現れるともされたため、卑しい盗人や旅人に取られることも、神に収穫を「返す」行為と信じられていたわけです。
もちろんここには、翌年以降も豊作よろしく、という現世利益の付け届けの意味も垣間見えますが、古くは、ただ素朴に神に感謝を捧げる意味合いだったものと思われます。つまり「トミ」「トビ」とは「富み栄える」という意味と、収穫が鳥や旅人により神の世界に「飛ぶ」ことの両方の意味があり、古い時代にはそれは同じことを意味していたのです。

渋みの奥にある柿の深く甘い世界

柿の語源は「赤き実」から来ているといわれます。
柑橘系の果物や、あるいはバラ科のリンゴや梨、またはブドウなどの甘酸っぱさと爽やかな香りを特徴とするフルーツとは比べると、酸味がなく、熟すと果実がじゅくじゅくにやわらかくなるなど、トロピカル系のフルーツに近い食味を特徴としています。酸味のある果物が、未熟な種子を守るために強い酸味で食害を防ぐのに対して、柿はタンニンに由来する苦みで食害を防ぎます。これが食べると渋い、渋柿の原因です。
現在日本には1000種に及ぶ品種がありますが、そのほとんどが渋柿です。もう少し詳しく区分すると、柿には完全甘柿・不完全甘柿・完全渋柿・不完全渋柿の4種類があります。かつては、完全渋柿と不完全渋柿しかなかったのです。人間が栽培するようになるまで、渋の原因である水溶性タンニンを欠いた甘い柿は、未熟なうちに食害を受け、絶滅していたのでしょう。
現在の神奈川県川崎市麻生区に「柿生」という地区があります。川崎市に編入される以前は柿生村と言いました。その名の由来は、かつて鎌倉時代初期1214(建保2)年、それまで柿といえば渋柿のみだった時代に、星宿山蓮華院王禅寺の山中で自生しているものを偶然に発見突然変異の甘柿(現在の区分でいえば不完全甘柿)「禅寺丸柿」が発見されたことによります。
日本初の甘柿といわれ、江戸時代には「江戸の水菓子」として大いに好まれ、幕末、ペリーに同行した植物学者J・モローによってアメリカ、ヨーロッパに、そして世界に広がり、柿の学名「Diospyros Kaki」の名の元となりました。日本では昭和の前半ごろまでは甘柿=禅寺丸でしたが、現在の甘柿の大半を占める「富有」「次郎」などのより大きく甘い柿が大量生産されるようになると、一般の流通からは姿を消していきました。
ところが、柿で極上品とされるのは、実は完全渋柿。「平核無(ひらたねなし)」と「四溝(よつみぞ)」は、脱渋したあとの味わい、多汁でやわらかい果肉が極上と評されます。身近であるためにあまり意識されていませんが、実は滋味に深く広い味の世界を展開しているのが柿です。
近年ではアメリカガキといわれるパーシモン(persimmon)の柔らかい実を使用した柿プティングも人気の兆しだとか。古風なイメージで若者からは敬遠されがちともいわれますが、これから柿が「来る」かもしれませんね。

週刊朝日百科「植物の世界」 (朝日新聞社)
都道府県別初霜・初雪の時期
主な甘柿の品種と特徴