正社員はなくした方がいい。正社員は既得権益だ――。そんな意見がネット上に飛び交うようになった。非正社員は働き手の五人に二人に増え、安い賃金と不安定な契約の下で、正社員とほぼ同等の役割を果たしている例は多い。
そんな格差は不公平だという声があがり、それがいつのまにか「正社員をなくせ」という声に転化しつつある。また、安くて便利な非正社員は増え続け、コスト的にも正社員は消滅するという声も出ている。私たちはいま、「正社員消滅」時代に直面しているのではないか、それは一体なんなのか、という関心が、この本の出発点だった。
取材を進めるうちに、「正社員消滅」には二つの顔があることが見えてきた。ひとつは「量としての正社員消滅」だ。非正社員が同じ仕事を極安のコストで担うなら正社員はいらない。非正社員が従業員の八割、九割を占める有名企業も珍しくなくなった。
だが一方、「正社員」はしぶとく生き残り続けている。入れ替わりの激しい非正社員の穴を埋めて、会社の命令通りに、朝から晩まで働き続ける正社員は、会社にとって「消滅」させられない存在だからだ。だが、これは本当に「正社員」なのか。
勤め先の大学の学生たちが、就職で懸命に追い求める正社員は、もっと別のものだ。安定した雇用、生活できる賃金、安心して家族を持て、社会の一員として人らしく生きられるという期待。ところがいま、正社員は、会社の命令通りに働き続けたとしても簡単に解雇され、極端な長時間労働の中で賃金は時給ベースでは非正社員並みに落ち込んでしまう存在になりつつある。電通の女性社員の過労自殺事件で明るみに出たように、「あこがれのキラキラ大企業」に就職し、命まで失う正社員も出現している。
安定雇用や人らしい生活を約束してくれるものとして仰ぎ見られた正社員は、消滅の危機に瀕しているのではないか。非正規の激増による「量としての正社員消滅」と、人らしい生活を保てる労働条件の喪失を意味する「質としての正社員消滅」という二つの消滅が起きているのではないのか。
さらに取材を進めていて突き当たったのは、こうした正社員消滅への流れは、政府の政策によって促進されつつあるのではないかという疑問だった。
もともと、日本の企業は命令一下で滅私奉公を求める傾向が強かった。しかも、その度合いは、一九八〇年代以降の相次ぐ労働時間の規制緩和によってますます強められ、働き手に生活時間を保障するために設けられた一日八時間労働の国際原則は空洞化した。「サザエさん」や「三丁目の夕日」で描かれるような、父親もいる夕餉の団欒は多くの人にとって縁遠いものと化した。八時間という時間、会社にいればなんとかなるどころか、長時間の残業によって時給が最低賃金程度にまで下がってしまう正社員も登場している。
さらに、二〇〇〇年以降は、働かせすぎを防ぐための労働時間規制から一定の社員を外してしまう「ホワイトカラーエグゼンプション」導入の執拗な試みも始まる。また、正社員の最後の利点である安定雇用を揺るがす解雇の規制緩和政策も進められようとしている。もはや問題は非正社員ではない。正社員を標的とする正社員消滅作戦とでもいえるものが、静かに進んでいる。
こうした正社員の労働条件の低下が非正社員の待遇改善につながるなら、それは一つの解決方法といえるのかもしれない。だが、低い労働条件で強い拘束を受ける正社員が増えるにつれ、あまり拘束を受けなかったはずの非正社員にまで、もう一段の変化が起きている。
「正社員だって休みなんかとらない。働こうというなら休むな」として、非正社員にも無限の貢献を求める空気の強まりだ。そんな中、契約社員の店長、派遣社員、そして外国人研修生にまで至る過労死が、ニュースになる。底辺への競争だ。
「正社員消滅」とは、単なる数の上での正社員の消滅でも、正社員の既得権益の消滅でもない。「正社員」にかろうじて残されていた、働き手を守るルールのはく奪による、働き手全体の権利の消滅ではないのか。そうした現実を直視、共有し、私たちの働き方を立て直す道を一緒にさぐっていきたい。それが、この本にこめた私の願いだ。