AERA 2025年8月25日号より
AERA 2025年8月25日号より

自然にまとまった

 撮影した“異変”も、異変がない周も、撮影し終わるとその場で監督たちが編集して、僕らはその待ち時間で脚本を練り直したり、次に撮るシーンの段取りを進めていく、そんなフレキシブルな現場でした。いろいろな意見が出たときは一つに絞るというよりは、監督が言っているものをまず撮って、自分が思っているものも撮って、さらに他のみんなが思っているものも撮って、最終的にガチャンとあわせて、どれが一番狙ったところに来るか、そのディレクションは監督に全部お任せする、そんな感じだったんです。だから、「二宮さんのアイデアは?」とか聞かれても、もうどこが誰のアイデアなのかはわからない(笑)。本当に、自然に一本にまとまった感じです。

──主演俳優として招かれる現場とは違う働きをしていくなかで、自身の中に、何か変化は生じたのだろうか。

自分にやれること

 そのせいなのかはわからないけど、感情論みたいなものの整理が言ってしまえばドライにできました。なぜだろうなっていうのはずっと感じていました。普通の作品なら、エモーショナルなシーンや怒り狂うようなシーンだと、ちゃんと自分の感情もそこに持っていく動作が一つ増えるんですけど、今回はそれがなかった。たとえば、「え?」と聞き返すような、肉体的にも感情的にも大変なシーンを提案されても、あまり考え込まずに「あ~、わかりました」とスッと受け入れられた。そのシーンを撮ったあと、実際に「本編のラストシーンをもう一回撮りたいんですけど」と言われたんです。普通なら「そういう大変なシーンは1日1個でしょ」「ちょっと考えたいな」と言いそうなのに、「あ~、わかりました」とシームレスにできた。それは自分でも不思議な体験でした。

──この作品を経て「広い意味で作品作りへの意欲が増した」と語る。

 僕は主役であろうとなかろうと、一緒に作品を作っていくキャスト・スタッフ全員がいろんな意見を持っていていいし、確度の高い意見は上にあげることも必要だと思っています。その打率を上げるために、パイプ役になれる現場があるのであれば、僕は積極的にやっていきたいな、と思うようになりました。もちろん、吸い上げる段階で「それはエゴじゃない?」みたいな精査は必要ですけど、純度が高い意見でも埋もれてしまうことがあるのは昔から感じていたことで。今回は川村(元気)監督だったから、みんなの意見を吸い上げて現場に戻してくれて、この作品が作れた。撮影部さんや照明さんの提案でよりよくなった部分もあるし、それはカンヌでの評価にもつながったと思う。もちろん監督一強の、監督を信じてついていくのが面白い現場もなくなってほしくないですけど、自分にやれることがあるなら、今後も動いていきたいですね。

(構成/ライター・大道絵里子)

AERA 2025年8月25日号より抜粋

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