
見上げると、電線はない。08年に住民主導で中心街の湯の坪街道周辺の景観を守る計画をまとめた後、地中化を進めた。静けさとともに、緑も空間も増える。年月というのは木を森にするのだ、とあらためて思う。周りの人たちも木を植えてくれている。
宿の敷地の角で、足が止まる。由布院を巡るなかでひと息つきたい人のために、2000年にベンチを置いた場所だ。でも、インバウンド客の数は予想を超え、ベンチの取り合いが起きた。それで一昨年にベンチは外し、木を植えて緑を増やす。そんな話をしていたら、行き交う人が手を振った。「まち」で暮らす人々は、みんな顔見知りだ。
「まち」を東西へ延びる湯の坪街道へ出ると、何カ所かで建物の前に立つクヌギやヤマザクラの木をみて、言った。「こうやって建物が道路から下がってできた空間にも、みんなが木を植えてきました。静けさを大事にして、客寄せの大きな声も出しません」。朝夕の散歩で、そんな「生活観光地」の様子を確認する。
単なる温泉観光地でなく、地域の人々の暮らしも守る。「静けさ・緑・空間」とともにあるのが「生活観光地」と呼ぶ姿だ。景観計画も、暮らしを大切にする人々の賛同で具体化した。「まち」では長く、建物は道路から少し下げ、できる空間に木を植えてきた。高い建物も避ける。それが、暗黙のルールだった。
だが、社長になる前の2000年ごろから、日本各地の温泉観光地と同様に、温泉に入って食事をして、土産を買って終わる日帰り客が増えた。湯の坪街道沿いに、次々に土産屋や飲食店が出て、客寄せの声が飛ぶ。描いていた生活観光地とは、違う。
そこで地区で景観計画をつくる準備会を設け、「建物は道路から1メートル以上は下げて、湯の坪街道沿いの高さは8メートル以下に」という暗黙のルールを明文化した案を、08年5月にまとめる。地元自治体も、採用してくれた。
母校の由布院小学校も訪ねた。自分のころは1学年に約200人。33歳になる長男の時代は100人で、いま約50人。「この子どもたちが『やっぱり由布院だよ』と思える『まち』を、つくっていかないといけない」。聞こえてくる子どもたちの声に、応えるように言った。