由布院の「まち」を、夕方に歩くのが好き。宿だけにいると、「まち」の空気が分からなくなる。 会う人たちとの会話でそれを確かめている (写真/山中蔵人)
由布院の「まち」を、夕方に歩くのが好き。宿だけにいると、「まち」の空気が分からなくなる。 会う人たちとの会話でそれを確かめている (写真/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年8月25日号では、前号に引き続き由布院玉の湯・桑野和泉社長が登場し、「源流」である故郷・由布院温泉を訪れた。

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 福岡県のJR久留米駅と大分駅を結ぶ久大本線の由布院駅から歩いて10分余り。大分川上流に架かる橋を渡ると、由布院玉の湯に着く。インバウンド客で賑わう街中とは別世界の静けさで、庭や敷地に雑木林が茂る。2003年10月に39歳で3代目の当主になると、その雑木林に花が咲く木を植えた。花は季節がよく分かる、と思ったからだ。

 由布院玉の湯は、元は禅宗の保養施設。1953年の創業で、同県日田市の博物館で働いていた父が婿入りし、経営に参加して2代目当主となる。64年8月生まれの和泉さんが、2歳のころだ。

 父は、部屋を削って庭を広げ、木々を植えた。やがて木々が育って雑木林になると、「旅館に雑木林とは何たることか」との声が出た。でも、父は揺らがない。温泉旅館を経営する仲間と3人でドイツを視察し、温泉地バーデンバーデンが百年の計で自然とともにある姿をみて、みんなで決めた。由布院は「静けさ・緑・空間」を大切にする。

 来る日も来る日も朝から晩まで「まちづくり」を考え、議論を重ねていた大人たち。その話を何げなく聞いていた10代前半の日々が、桑野和泉さんのビジネスパーソンとしての『源流』となる。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

インバウンド客にひと休みにと置いたベンチが取り合いに

 6月上旬、故郷・由布院温泉の「まち」を連載の企画で一緒に巡った。宿の雑木林の前を歩いて大分川沿いの小道へ出ると、行く手にも背後にも、木々が続く。音は、川の流れだけ。父母とともに守り通してきた、由布院の姿だ。

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