声の主はダンサーの田中泯さんだった。
もっともこのイベントは「ダンス白州」という田中泯さん主催のイベントで、なぜだか私にオファーがあってこういうことになったのだが、あれはなかなかの体験だった。
あのとき、空間がキュッと締まったもんな。星空がグッとこちらへ近づいたような。「この声の主が言うんだからみんな聴こうぜ」と、お客さんと白州の闇夜が姿勢を正したようなかんじか。
去年、田中泯さんにお会いしたときに「その節は……」とお礼を申し上げた。
「いやいやこちらこそ」と泯さん。「あいつ(ヤジおじさん)、亡くなっちゃってね」と、ご陽気なおじさんは泯さんの知り合いだったらしい。
右に捻ったらスポンと抜けた
「悪いヤツじゃないんだけど、酔うと楽しくなっちゃうんだよ。ごめんなさい」「いえいえ。ご愁傷様です。あれもいい思い出です」
なんて話をしながら、16年前を振り返る。あのとき私は31歳。
そう、真ん中の子がまだ1歳になったばかりだった。牧場においてあったトラクターに乗せてもらったら、ちょっと目をはなした隙にトラクターのハンドルに頭を突っ込んで抜けなくなったのも、あの2日後に清里へ遊びに行ったときのはず。あれは大変だった。大泣きしてるところを右に捻ったらスポンと抜けたんだ。
今じゃその子も17歳。そんなことまるで覚えちゃいやしない。いろいろネタを提供してくれるとはいえ、大きくなるまでヒヤヒヤすることもいっぱいあった。これからどういう大人になるかわからないが、とにかく他人に迷惑をかけることなく自立してもらえれば十分である。
あれ、なんで「万博」からこんな話になったんだっけ?
そうそう、屋外の落語も大変だけどやってみりゃいろんな発見があるもので、オファーがあれば面白そうだから万博の屋外での仕事もいいかもしれない。
オファーがなきゃないで、べつにいいけども。
まぁ、とにかく、「万博」もうちの次男も、無事であればなによりであるのだが。さて、どうなることか。
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