「信託」が果たす役割、期待される点は大きいと実感している。手がける側は知識や経験、専門性を十分に備えておくことだ。そう後輩に説き続ける(撮影:山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年4月14日号より。

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 静かな美しい浜辺で、子どもたちが遊びたいだけ遊ぶ穏やかな、夏の日本海。

 荒々しい波が立ち、飲み込まれそうで波打ち際にも近づき難い、冬の日本海。

 故郷の新潟県直江津市(現・上越市)で過ごした幼年時代の6年間と、東京都へ転居してから戻ってきた小学校4年生と5年生の2年間。ときに自宅から歩いて数分と近い浜へきて、独り、季節によって表情を大きく変える日本海を観ていた。そんな日々が、周囲のみんなと楽しく過ごそうという「穏やかさ」と、正しいと思うことは通すという「荒々しさ」の両方を、自分の中に埋め込んで「強き心」を育み、『源流』が流れ出す。

 1987年2月から4年間、東京の本社で「土地信託」の企画を担当した。土地信託は客が持つ土地を預かって、資金を調達してマンションやオフィスビル、商業施設を建て、その不動産事業で得た収益から土地の提供者へ配当を出し、調達した資金も返済していく。当時の住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)が開発した手法だ。

 預ける土地の登記も信託銀行へ移してやる、という双方の信頼関係に基づく事業で、期間は20年から30年と長い。「信頼して託す」という、「信託」の名にふさわしい仕組みだった。

 ある金曜日の夕方、仕事の後に社内の会議室で、上司らとビールを飲みながら話していたときだ。土地信託が今後はあまり利益を期待できない、と指摘した。バブルの膨張で地代や建築資材、労賃などが高騰し、コストが高過ぎてオフィスや商業施設をつくって貸しても、そんなに利幅を得られない。仕事を通じて、そうみていた。

「正しい」と思うのに部長に否定されて止まらなかった暴言

 ところが、一緒にいた部長は「そんなことはない」と言う。国や自治体などが持つ遊休地などをみつけて、土地信託はどんどん増えていた。思わず反論した。部長は、むっとした顔になる。自分は入社して10年程度。後で「こんな若造に言われて腹が立っただろう」と思ったが、その場では「自分が正しい」と思っているから、止まらない。埋め込まれていた「荒々しさ」が顔を出したのだろう、言い合いになって、最後にすごく失礼な言葉も投げてしまう。

 部長はその後に社長にもなった人で、当時も同期入社の先頭を走っていた。そう先輩から聞いて「ああ、これで自分の会社員人生は終わったか」と思い、土日の2日間、悶々として過ごす。でも、冷静さが戻れば、もう一つ埋め込まれていた「穏やかさ」も湧いてくる。

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