『対馬の海に沈む』窪田 新之助 集英社
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 韓国に最も近い国境の島、対馬。人口3万人という長崎県のこの離島で2019年2月25日、ある男性が自ら運転する車で海に転落し溺死するという事故がありました。死亡したのは、対馬農業協同組合(JA対馬)の正職員だった44歳の西山義治。彼はJAで共済事業の商品を専門に営業する「ライフアドバイザー(LA)」であり、その中でも例年数人しか選ばれない「総合優績表彰」の常連で、「LAの神様」と呼ばれるほどの人物でした。

 桁外れな顧客と稼ぎを維持していた西山ですが、亡くなった当時、彼の職場で持ち上がっていたのは「西山が多額の共済金を不正に横領していたのではないか」という疑惑。台風が来襲した後に被害を捏造し、偽造した書類で共済金を搾取していたというのです。その額は調査できた2010年度から2018年だけで22億1900万円。転落事故の当日は、一連の疑惑に関して職場から核心的なことを追及される日だったといいます。

「たった一人の職員が長年にわたり、職場の誰からの助力もなく、JA史上稀に見る大規模な不正を働くことができたのだろうか」

 こう疑問を抱いたジャーナリストの窪田新之助氏は独自で調査を開始。その実情と人間模様をえぐり出した一冊が『対馬の海に沈む』です。

 現在、約9割のJAグループでは農業に関する「経済事業」が赤字に陥り、「金融事業」に依存するしかない状況だといいます。自爆営業のようなノルマ至上主義が存在する中で、西山はJAグループという組織の問題や弱点に目をつけ、それらに付け入ることで、金や力、名声を自分のものにしていったのではないか。当初はそのように考えていた窪田氏ですが、調査を進める中で明らかになってきたのはより深くて大きな背景でした。

 窪田氏から見た西山の人物像は、宝飾品やフィギュアなどの収集癖があり、見せかけの生活水準を上げることに執着するタイプ。地元を愛し、「西山軍団」と称する自分の身内は大事にするが、自分に与しない者は厳しく打ちのめす。窪田氏は西山について「いわゆる『田舎のヤンキー』という捉え方がぴったりなのではないか」(同書より)と記します。そしてヤンキーにありがちな、義理人情に厚くお人好しなところがある西山は「ずっと踊らされてきた」のだ、というのが窪田氏のたどり着いた結論です。

 では、彼を躍らせてきたのは誰なのか。同書でそれを目の当たりにしたとき、私たちは人間が持つ深い闇に呆然とさせられるでしょう。

 これを日本の外れで起きた地域の問題として片付けてよいのでしょうか。共犯関係が成立していたときは手放しで褒めたたえながら、それが崩れれば一気に手のひらを返す人たち。組織ぐるみの問題でありながら、一個人へと責任転嫁してトカゲのしっぽ切りで済ませる人たち。自身も関わりのある一人でありながら、その死に何の罪悪感も抱かない人たち。「西山と彼に関係する人たちがはまった陥穽は、きっと私たちの社会の至るところで待ち構えているに違いない」(同書より)との言葉には、思い当たるところがある人も多いのではないでしょうか。

 2024年第22回「開高健ノンフィクション賞」も受賞した同書。現地へ足を運び、何人もの関係者に取材を重ねた渾身のルポルタージュには、高い評価が寄せられています。この機会に、手に取ってみてはいかがでしょう。

[文・鷺ノ宮やよい]

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