“和製マドンナ”と呼ばれた本田美奈子.さん (c)朝日新聞社
“和製マドンナ”と呼ばれた本田美奈子.さん (c)朝日新聞社
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 「本田美奈子」さんが亡くなってから19年の歳月が過ぎた。いまだファンは、命日になると彼女を偲んで思い出の地を訪れるという。AERA dot.は今月、〈「本田美奈子さん」没後19年 実母と妹が明かす“お姉ちゃん”との幸せだった38年間」〉を配信。記事への反響が大きかったため、過去に本田さんを取り上げたほかの記事もあらためて紹介する(この記事は、2019年11月4日に配信した内容の再掲です。年齢や肩書などの情報は配信時のままです)。

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今から14年前の2005年11月6日、急性骨髄性白血病を患い、38歳の若さでこの世を去った歌手の本田美奈子.さん(享年38)。今なおオフィシャルサイトが存在し、ファンクラブイベントが開催されるなど、彼女の圧倒的な歌唱力がいまだ色褪せることがない。そんな彼女の命日がまもなく訪れようとしている。

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 彼女がデビューしたのは1985年。中山美穂や南野陽子、斉藤由貴、浅香唯らのちにトップアイドルとなる面々と同期デビューを果たした。当時を知るテレビ局の関係者は次のように振り返る。

「デビュー当初はアイドル歌手というイメージが強かったのですが、当時から歌唱力はずば抜けていました。85年というアイドル歌手の逸材が多くデビューしたことで、歌番組などでの露出も相当多く、いいスタートダッシュが切れました。しかし、売上ランキング的には他のアイドルに先を越されてしまい、相当悔しい思いをしていたそうです。そこで、もっと強く自分の個性を打ち出せる楽曲をつくるため、当時作詞家としてすでに実績のあった秋元康さんに依頼。翌86年にリリースされたのが、のちに彼女の代表曲となった『1986年のマリリン』でした。斬新な歌詞にロックテイストの曲、なにより誰もが釘付けになった“ヘソ出しルック”が話題を呼び、『ザ・ベストテン』(TBS)で初のランキング入りを果たしました。結果、同曲は25万枚の売り上げを記録し、これ以降も次々とヒット曲を量産して人気歌手の仲間入りを果たすことができたのです」

 人気歌手としてステージに立ち続ける一方、90年にはミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションを受け、約1万2000人の中からヒロイン役に合格。2年後に同作の初演を迎え、以降1年半のロングラン公演となった。音楽誌の元編集者はいう。

「彼女はミュージカル女優になるために生まれてきたような人でしたね。生で見ると鬼気迫るほどの歌唱力でしたし、それでいて芝居もできる。以降も『屋根の上のバイオリン弾き』『王様と私』『レ・ミゼラブル』など、名作ミュージカルに続々と出演し、高い評価を得ました。この頃にはもうアイドル歌手としての影はなく、完全なるアーティスト兼ミュージカル女優という貫禄でしたね。着実にキャリアを重ね、このまま日本を代表するアーティストになるんだという意志を強く感じたことを覚えています」

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貪欲なまでのセルフプロデュース