岸田劉生の代表作「麗子像」が大平正芳首相の顔になった「麗子微笑」(79年5月4日号)。小沢昭一さんがこの絵が好きで、
「あれ見てると元の麗子の顔がどうしても思い出せないのよ!!」
画風模写、切り絵、ヘタウマ絵、マチエール絵、和紙絵などの手法、テクニックを駆使して描き、落語や俳句、川柳、狂歌、パロディー、語呂合わせで鍛えた言葉を添える。なにより圧倒的なセンスで他の追随を許さず、「週刊朝日を後ろから開かせる男」と呼ばれた。
鏡に映る顔が「山藤の描く顔に似てくる」
山藤さんのファンは作家や芸能人、文化人にも多い。そのひとり、山口瞳さんの「山藤の前に山藤なく……」(80年)という文章がある。銀座を山藤さんと並んで歩いていると、向こうから酔った野坂昭如さんが現れ、すれ違いざまに山口さんにいった。
「ヘッ、よく描かれようと思って……」
当代の似顔絵師にお世辞を使ってやがると、いいたげだったという。
その野坂さん曰く、
「山藤の描くわがご尊顔はヒトというよりチンパンジーに近いのだが、ふと鏡を見れば、映っている顔はどんどん山藤の描く顔に似てくる」
「ブラック・アングル」の快進撃が続くなか、山藤さんは81年から週刊朝日で「山藤章二の似顔絵塾」の連載も始め、塾長として読者から寄せられた似顔絵から誌面に掲載する作品を選別し、論評した。美男美女をきれいに描いた作品はまず採用されない。あらゆる手法がOKで、奔放なデフォルメ作品が誌面を飾り、山藤塾長は描かれたモデルから苦情を貰うこともしばしばだった。
週1回、フラリと現れる山藤さん
私が山藤さんの担当になったのは1985年だった。「ブラック・アングル」が始まって9年、「似顔絵塾」が始まって4年である。
円熟期の山藤さんには新聞、雑誌などの注文が殺到し、テレビにもよく登場されていた。そんな多忙な山藤さんが、週に1回、朝日新聞社にフラリと現れる。