甲子園球場で高校野球を観戦する山藤さん(1998年8月)

「ブラック・アングル」の打ち合わせで、編集部員が4、5人集まって、山藤さんとおしゃべりをする。話題のニュース、スキャンダル、政治家、犯罪、芸能(とくに落語)と話題が次々に飛ぶ。静かに聞く山藤さんが、時に鋭く質問する。

 そして翌日、打ち合わせでは全く話題にものぼらなかった「ブラック」が編集部に届けられる。毎週、魔術を見る思いだったが、描き始めるのはきまって締め切り前日の夜中だったという。ひらめきが必ず降りてきて、それを圧倒的なスピードで仕上げていく自信があっての離れ業だったようだ。

距離感を保った「タイガース愛」

 ダンディな山藤さんだが、85年は浮かれ気味でもあった。阪神タイガースが21年ぶりにセ・リーグ優勝を決め、日本一になった年でもあった。ただし、山藤さんのタイガース愛は、実にクールだった。横浜スタジアムに試合を一緒に見に行ったことが何度かあるが、七回ごろに、山藤さんはすっと帰ってしまう。

「阪神が勝ってるうちに急いで帰ったほうがいい。負けていたら逆転はまずない。中華街もしまっちゃうからさ」

 阪神とも適当な距離を保つのが山藤さんらしい。

 キレキレの山藤さんに疲れが見えてきたのは、70歳代半ばからだと思う。

「最近の政治家の顔を描く気がしないんだよ」
 ということが多くなり、その時期にいただいた手紙にはこうあった。

〈マッカーサーは「老兵は死なず…」と言いました。(略)「週刊朝日」からいつか引退しなくてはなりません。これは致し方のないことです。いまのまま、居座っていいのか、どうか迷っています〉

 80歳前後からは右ひざが痛み、歩きづらくなった。手術や長期入院にも耐えつつ描いた「ブラック」だが、さすがに昔日の輝きが薄れてきたのを本人がいちばんわかっていたと思う。

 21年12月に「ブラック・アングル」は2260回、「似顔絵塾」は1990回で終了することになった。

 山藤さんは『自分史ときどき昭和史』に書いている。

〈私の選んだ道は諷刺であり、皮肉であり、滑稽である。すべて観察と距離感を必須とする世界だ。ホドのよい賢さと愚かさ。ホドのよいマジメさとフマジメさ。ホドのよい協調性と孤立性。ホドのよい自信と不安。こういった二律背反するものの微妙なバランスの上で成り立っている商いである〉

 自分を分析しつくし、辞め時もスマートな山藤さんだった。

 山藤さんはその後、ときどき文章を書き、絵を描きつつも、公式的な活動は控えていた。コロナ禍であまり外出することもなく療養していた。87歳の生涯で、私たち多くのファンに笑いと示唆を与えてくれた山藤さん。ありがとうございました。

山藤章二さん(撮影/写真映像部・東川哲也)

(週刊朝日OB・村井重俊)

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