後藤:親の言うことを素直に聞いていたところから、自分で道を切り開くようになった。大きな変化は、なぜ起こったと思いますか。

荒木:教員試験を受けない、先生にならないと決めたことが、きっかけかもしれません。

 教職課程の履修はしていたので、教育実習をするかどうかという時期に「私は先生に向いていないのではないか」と思ったんです。子供たちと向き合うことは嬉しいのですが、保護者と接する時間が想像していたよりも長いとか、教師という職業を深く知るようになり迷い始めたんですね。

 それが5月ぐらいの時期で、民間企業の採用試験が始まるころ。公務員か会社員かを選ばないといけないなと思ったとき、「自分がやりたいことってなんだろう」と真剣に考えました。

 アルバイトの経験から、一緒に働く方と合うかどうかを重視していたので、就職活動でも人事の人や社員の方に直接会いに行き、雰囲気が自分と合うかという観点から会社を選びました。東洋経済新報社を受けて、今も在職しています。

仕事が面白くなったときに壊した身体

後藤:出版社での最初の配属先は? どんな仕事内容でしたか。

荒木:書店営業が最初の仕事です。日々のお金の収支や返品率、何が売れて何が売れていないのか、流通も知りたかったので毎日が学びでした。

 仕事がすごく面白くなってきた3年目でしょうか、自身のキャパシティをわかっていなくて体調を崩しました。うつまではいきませんでしたが、適応障害を発症したんです。

 起きた時に泣いていたり、眠れなかったり……。私は大きな勘違いをしていたんですね、「私がいないと、この仕事は回らない」と。

 でも、休職してわかったことは「仕事は普通に回る」ということ(笑)。会社なので当たり前なのですが、このときに「自分の人生を楽しまないといけないな」と思いました。

 体を壊したことで、健康に投資しようと思い、良質な睡眠をとるためにベッドや枕、睡眠関連グッズを購入しました。

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