あまりにも鮮烈なデビューだったため、メディアでは「シンデレラ・ストーリー」と書かれたが、それもあながち大げさではない。卓球を始めるまでもまた、シンデレラの物語そのものだった。
小学生の頃にいじめを経験して3年生の頃から不登校になった。心に刻まれた深い傷が影響して、一時は歩くこともできず、車いすで生活をしていた時期もある。和田の母は、当時をこう振り返る。
「精神科の先生からは、心の中につらい思い出がたくさんあるので、楽しい経験や小さな成功体験を積ませることが大切と言われたんです。それで公園や遊園地、映画館などによく連れて行ってました」
そんな日々を過ごしていたときに、近所に障害者スポーツセンターがあることを知った。中学2年生の時だ。そこで、和田の人生を変えることとなる卓球と出合う。和田は、こう話す。
「自分より身長の高い兄と体重が一緒になって、『これはヤバい』と(笑)。それで、最初は水泳をやっていたんですけど、センターの中に卓球場があって、遊びでやり始めたのがきっかけでした」
やってみると、ボールを自在に変化させる卓球の奥深さにのめり込んだ。少しだけ卓球経験のあった母に負けた時は、悔しくて泣いた。そして、次こそは負けまいと必死に練習をした。その姿を見て、母はこう思った。
「この子、パラリンピックに出るんじゃないかな」
(フリーランス記者・西岡千史)
※AERA 2024年8月12日-19日合併号