元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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@ハノイ。前回のコラム執筆時は1ミリでも心が通じたと思える方に一人も出会えず不安100%だったが、今や超余裕。ってことでちょっと浮かれている。だってですよ、何の縁もない地に一人でやって来たただのオバサンが1週間のうちに、会えば挨拶してくれる「知り合い」を何人も得たのだ。これが自分を褒めずにいられようか。
きっかけは、外出先で目的地が見つけられず窮地に追い込まれた時のことだった。
切羽詰まって、言葉も通じないのに近くの店の人に必死に尋ね回っていたら、近所の人がわらわら集まってきて知恵を出し合い見事ピンチを救ってくれたのだ。「困ったときはお互い様」のご近所付き合いが普通に生きてる街なのである。ってことは、実はここにおられるのは、普段からご近所様に助け助けられ何とか生きている私と同じタイプの方々じゃないですか!
と思ったら、いつも通りやればヨシと肩の力が抜けて、「ご近所を日々うろうろして同じ店に何度も行き精一杯感じよく」という、東京で私が実践している「サルでも誰かと繋がれる生活」を落ち着いてできるようになった。すると、当初はどうやっても動かなかったハノイっ子の表情筋が魔法のように緩んで花のような笑顔が顔を出していったのだ。まるでモーゼの十戒の映画を見ているかのようだった。
「暮らすように旅をする」という言葉があって、私も前は憧れたものだ。でもここへきて、自分がやりたいのはそれとはちょっと違う気がしている。
旅は暮らしの真似事じゃなく、暮らしそのものなのだ。普段の暮らしでやっていないことが旅に出たからできるわけじゃないし、普段の暮らしで大事にしていないことが旅に出たから大事にできるわけじゃない。むしろ、旅先では普段の自分がごまかしようもなく出てくる。
だから旅は恐ろしいがやめられない。普段の生活で少しずつ身についた錆や垢に気づいてスッキリ身軽になる。旅は最高のデトックスなのだ。
※AERA 2024年9月16日号