元パイレーツの西本はるかさん(撮影・門間新弥/場所提供・PHONO shibuya)
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 9月も中盤戦に突入しました。「AERA dot.」が最近掲載した記事のなかで、特に読まれたものを「見逃し配信」としてお届けします(この記事は8月13日に「AERA dot.」で掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。

【写真】一世風靡した「だっちゅーの」ポーズ! ほかプライベートショットはこちら(計19枚)

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 1990年代に「だっちゅーの」で大ブレークした元・パイレーツの西本はるかさん(46)。あれからさまざまな経験をして、現在は歯科助手として6年目を迎えた。【前編】では、人気絶頂だった20代前半からコンビ解散後の人生までを振り返ってもらった。【後編】では歯科助手に転身してから味わった苦労、フジテレビ系の人気お笑いバラエティー番組「ボキャブラ天国」で共演した人気芸人たちの素顔、自身の結婚願望などについて語ってくれた。

――歯科助手になった経緯を教えてください

 就活で医療サイトを見てたまたま登録してみたんです。歯科助手にこだわっていたわけではなかったのですが、ある歯科医院から「ウチで働いてみませんか?」と連絡をいただいて。最初、歯科助手というと、かわいらしい華やかなイメージがあったのですが、働いてみると全然違いました(笑)

“四十の手習い”

――業務はどんなことをしているんですか

 患者さんの治療のときに、歯科医の先生に器具や薬液を渡したり、先生から受けとったりするのがメインの仕事なんですけど、覚えなければいけない知識が山ほどあって。薬液の量は少しでも間違えると怒られました。なぜかというと、薬液は料金が高いから。先生もシビアになる。当初は軍隊?みたいな厳しさでピリピリしていました(笑)。今働いている歯科医院で6カ所目なんですけど、医院によって使っている薬液が違うし、同じ治療でもアプローチの仕方が違う。本当に大変です。

――辞めようと思ったことは?

 何度もありました(笑)。社会に出て、いろいろな仕事を手伝っていた時期もありましたが、本格的に勤務するのは歯科助手が初めてだったんです。40歳になって右も左も分からない状態で社会に放り込まれて不安だらけでした。歯科助手を目指す専門学校には行っていないし、器具や薬液など覚えることがありすぎて息つく暇がない。つらすぎて家に帰った後に何度も泣きましたし、辞めたいとずっと思っていました。でも、ここで逃げ出しちゃダメだなって。根性はあるんです(笑)。せっかく苦しい思いをして覚えたのだから続けようと。

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