そして極めつきの本当のドラァグクイーンショーである。「はだか」というタイトルの歌を歌いながら、ほとんど全裸(肌が青く塗られている)の男性が歌い、クィアなファッションに身を包んだ人々が、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を思わせる構図をパロディーにしたような演出には笑ってしまった。これ、二丁目で観たら楽しかっただろうな、とも思うが、もう、二丁目的なショーは権威や正しさの象徴のようになってしまったということなのだろうか。権威を笑い、偏見に抗い、私たちの存在と自由を肯定するための知的な笑い=パロディーであったはずのドラァグクイーンショーが、「パロディーではありません、誰のことも嘲笑していません、多様性の表現です」として国際舞台で表現されるようなものになってしまったということなのだろうか。ドラァグクイーンショーが権威になってしまったということなのだろうか。

 リベラルはパリ五輪開会式を肯定し、保守派は否定。SNSを見るとそんな傾向があるが、そんな単純な話ではなく、リベラルでも保守でもなく、なんだかモヤモヤするんだけど……みたいな人は少なくないのではないか。二丁目の友人たちと語り合いたい気分だ。ねぇ、こんな権威になることが目的でしたっけ。で、やっぱりロンドン五輪の開会式、伝説のジェームズ・ボンドとエリザベス女王のコラボは改めて粋だったなぁと、もう一度見直してしまったりしてしまうのであった。そういえば、唐突のルイ・ヴィトンの大きなトランクの登場にも驚いた。ヴィトンがフランスの顔、なんですね。

 フランス五輪にお洒落とかスノッブを私は期待していたのだなぁと思う。レディー・ガガレベルのフランス人ポップアーティストがいなくても、フランスらしくスノッブでいいのに。哲学者とか哲学者とか哲学者とかどんどん出せばいいのに。いやらしいくらいスノッブで庶民がついていけないくらい難解な五輪でいいのに。そういうスノッブさを許されるのが、フランスというものでしょう。……という文句ばかりで申し訳ないが、セリーヌ・ディオンはすてきでした。いろんな感想がある、ということで、お許しを。

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