前回の東京オリンピックはコロナ禍最中だった。
【写真】【写真特集】オペラ座の怪人にレディー・ガガ…初の市街地の演出に賞賛や反発も パリ五輪の開会式を振り返る!
感染者が急増sるなか、世界最大規模のイベントを実行するなどどうかしていたと今でも思う。しかも五輪関係の不正が次々に明らかになったのは全てが終わった後だった。
今回のパリ五輪は世界の紛争・戦争の最中に行われる。IOCはロシアとベラルーシの国としての参加を認めず、ガザ地区へ無差別攻撃の手を緩めないイスラエルの参加は認めた。ウクライナ侵攻を積極的に支持していないロシアやベラルーシの選手は「中立選手」として参加しているが、セーヌ側での入場パレードの参加は認められなかった。
あーあ、もう五輪なんて観たくないね……という気持ちに自然になっているのだけれど、それでも人生の習慣とは恐ろしいものである。「開会式だけは観よう」と思ってしまうのだ。東京五輪もあれだけ反対しながらも、開会式は観た。
言い訳をすれば、オリンピックの開会式とは、その時代の空気、開催地のお国柄、そんなものが生々しく感じられる貴重な機会だからでもある(偉そう)。
と、少しだけ楽しみにしていたパリ五輪開会式なのだが……結果的にはかなり賛否両論の激しいものになったようだ。賛成側は、これまでの五輪開会式史上最もLGBTQ+に配慮し、多様性をうたうパフォーマンスが随所にあったことや、マリー・アントワネットを思わせる女性が斬首された首を手に持ち歌い、血しぶきがあがるという過激で攻めたパフォーマンスを、「さすがフランス」という方向で絶賛。否定側は、「最後の晩餐」をパロディーにした演出だと受け止め「宗教を嘲笑している」と抗議をし、これにはパリ五輪組織委がすぐに謝罪をしている(芸術監督を務めた演出家は「個人を中傷していない。多様性の表現」と釈明)。
私は……どちらかと言えば、驚いた、という感想である。言葉を選ばずに言えば、「二丁目感」が強すぎて、驚いた。とてつもなく下品で、だからこそ自由で楽しく、タブーなき冒険と偏見に抗う挑発がけたたましい笑いの中で凜と遂行され、強い欲望と孤独に包まれる夜……私が知る新宿二丁目のクラブ、ドラァグクイーンショーのイメージである。で、パリ五輪の開会式は前半のレディー・ガガの登場から、ドラァグクイーンショーであった。ガガが冒頭のほうに出てきたことで、この開会式の方向はこういうものですよ、と宣言されたようなものである。