それは、筋トレは努力が報われるものだからだ。正しいノウハウを学び、地道に努力を続けていけば、筋肉は順調に成長していく。そこに手応えを感じて、彼らは日々のトレーニングを続けているのではないだろうか。

 というのも、彼らの本業である芸人の仕事では、必ずしも努力が報われるとは限らない。100の努力をしたからといって、100の結果が得られるわけではない。何年も何十年もネタを考え続け、ネタを磨き続けても、それだけでは『M-1』で優勝できる保証はない。

筋肉のようなわかりやすい成果

 そもそも、全く同じネタをやっても、そのときの自分たちのコンディションや、観客次第でウケ具合は大きく変わってしまう。必死で考え抜いて絞り出したコメントが、天然キャラの芸人の苦し紛れの一言に負けてしまうこともある。

 芸人の仕事では、努力をしても筋肉のような目に見えるわかりやすい成果が出ないので、誰もが雲をつかむような状態にあり、報われるかどうかもわからない努力をコツコツ続けなければいけない。

 プロの芸人にとっては、努力が報われない状態こそが日常なのだ。これは想像するだけでも恐ろしいことである。

 そんな彼らが、努力の成果が見えやすい確かなものを求めて筋トレに走るというのは納得がいく。筋肉はわかりやすく、笑いはわかりにくい。

 実際、なかやまきんに君のような筋肉芸人の繰り出すギャグやパフォーマンスというのは、単純明快でわかりやすいものが多い。見る側としても、頭で考えるより先に体が自然に反応して思わず笑ってしまうようなものばかりだ。

 小島よしおは「そんなの関係ねえ!」と踊り狂い、庄司智春は「ミキティー!」と妻の愛称を大声で叫ぶ。筋肉とはわかりやすさの象徴でもあるのだろう。

 すべてが移ろいやすい世の中で、筋肉だけが信じるに値する。笑いという不確かなものを追いかけることを宿命づけられた筋肉芸人たちは、確かなものをつかむために今日もひたすら体を鍛えているのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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