「音楽を言葉で表すレポートには頭を悩ませました」と廣津留さん(撮影/吉松伸太郎)

 同じ先生に習ういわゆる同門生がお互いを講評するなんて想像もしていませんでしたが、実はその後に進学したジュリアード音楽院でも同じ形態の授業がありました。自分が習っている曲を門下生全員の前で披露し、先生だけでなく学生からお互いにコメントをもらいます。そこで演奏することは、私は正直、コンサート以上に緊張しましたね。しかも授業なので、聴く側としても発言をしないと欠席扱いになってしまいます。クラスメートの演奏について何かコメントできることはないか、批判的にならないように英語でどう表現すればいいのか、聴いている間もずっと考えていないといけないから結構ハードでした。少しコメントしたら「形容詞でいったら何?」みたいに突っ込まれることも(笑)。

 ハーバードでは作曲の授業の中にも、音楽を言語化する力が鍛えられるものがありました。授業の内容としては、屋外や教室などいろいろなところから「音」を素材として録音・採集し、それらを幾通りにも組み合わせてPCで曲を作るというもの。大変だったのが宿題です。先生の選曲した音楽を聴いて、思ったこと・感じたことをレポートにまとめるのですが、作曲した人の名前やタイトルなどの情報が事前に一切明かされません。しかもメロディーやピッチがはっきりしたものではなく、工場のような機械音や電子音、環境音で構成されたような、「音」自体に集中しなければならないものばかり。10分くらいの「曲」をしっかり聴いて思い浮かんだ情景や音の特徴、どんな印象を受けたかなど、すべて言葉にしてまとめないといけない。たとえば「起承転結の『承』の部分では水流のようになめらかな音が出現し~」みたいな感じで。短い文章ではレポートを埋められないので、どんな表現ができるだろうかと、何度も頭を悩ませました。

 音楽を言語化することも、作曲自体も、ハーバードに入って初めて取り組んで、私の中で音のとらえ方が変わりました。ジャンルに関係なく音楽に耳を傾けるようになり、作曲ソフトも抵抗なく使えるようになりました。そしてやっぱりアメリカは何事も言語化する世界なんだなと感じましたね。音楽を演奏で表現するだけではなく、はっきり言葉にできないといけないんだなと。そうやって鍛えられているからこそ、アメリカにはMCをしながら演奏する人や、音楽観をインタビューでクリアに答えられる人など、“しゃべれる音楽家”が多いのかもしれません。

構成/岩本恵美 衣装協力/BEAMS

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