東大戦でヒットを放つ清原正吾

 正吾は中学の慶応普通部でバレーボール、慶応高校でアメリカンフットボールに打ち込み、野球から6年間離れた時期がある。実力者が集まる慶大野球部では異色の経歴だが、180人を超える部員の中で4年になってレギュラーをつかんだ。

 スポーツ紙記者は「こんな選手、なかなかいないですよ。身体能力が高く、心身共にタフで努力家だから、ここまでたどりついた。ただ本人は満足していないでしょう。向上心が強い性格も魅力的です」と称賛する。

 父の清原氏はPL学園で1年から4番を務め、エースの桑田真澄(巨人2軍監督)と「KKコンビ」で甲子園に5季連続出場。優勝2度、準優勝2度と輝かしい実績を打ち立てた。

 正吾も身長186センチ、90キロの恵まれた体格から父親譲りの力強いスイングを見せるが、パ・リーグ球団の編成担当は意外な見方を示す。

「彼を見ていると、新井貴浩さん(広島監督)と重なる。球に食らいつき、追い込まれても何とか粘ろうとする必死な姿がね。長距離砲として大きな可能性を秘めている点も共通している。体が強いでしょうから徹底的に鍛え上げれば、大化けするかもしれない。6年間のブランクがあって、これだけの成績を残している。まだまだ伸びしろが十分で、潜在能力の半分も出し切れていないと思います」

大学時代は無名だった新井貴浩

 新井監督は現役時代に通算319本塁打をマーク。本塁打王、打点王を獲得し、通算2203安打と球界を代表するスラッガーとして活躍したが、駒大では無名の存在だった。4年の秋に打点王を獲得したが、リーグ戦通算60試合出場で打率.241、2本塁打、26打点。プロに指名されるほどの実績は残していなかったため、地元の広島にドラフト6位で指名されたときには驚きの声もあった。

 学生時代の新井を取材したアマチュア担当記者が振り返る。
「力は凄かったが確実性がなく、ホームランを打つ能力も高いとは言えなかった。不器用で内野の守備も下手でした。プロであんな凄い選手になるとは、大学時代を見たら誰も想像できなかったと思いますよ。才能を開花させた大きな要因は広島での猛練習でした。朝から晩まで走り、守り、バットを振った。今の時代は無理でしょう。体が壊れる。実際にケガする選手がいた中、新井は頑丈だったので必死に食らいついていきました。あとはあの性格ですよね。常に一生懸命で明るい。どこか抜けているところがあって愛されました。プロで活躍する上で、向上心旺盛な性格も大事ですよ」

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