『Simple Dreams : A Musical Memoir』Linda Ronstadt
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『Simple Dreams : A Musical Memoir』Linda Ronstadt
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『シンプル・ドリームズ:ア・ミュージカル・メモワール』リンダ・ロンシュタット著

●第6章 ビーチウッド・ドライヴより

 私が最後に、私自身のオフィシャルなバック・バンドとして、イーグルス(後の命名)と共演したステージは、1971年のグラッド・ナイトだった。それは1週間の間、ディズニーランドで開かれた、卒業式を控える高校生のためのフェスティヴァルで、私たちの他に、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ、ステイプル・シンガーズが出演した。
 ディズニー・カンパニーは、報酬がよかったけれども、パークにブッキングしたタレントに個別に、さまざまな条件をつけた。私たちは、一晩に数回ショーを行い、午前3時ごろに、最後のステージを終えることになった。ショーの合間にパークを歩き回ることは、許されていなかった。また、私たちの契約条件には、私のブラジャーの着用が義務づけられ、スカートの長さも、屈んだ姿勢で地面から何インチが必要と明記されていた。
 
 誰もステージで、パフォーマンスを行わない時、イーグルスのメンバーは、舞台裏のアーティスト用の休憩室で、スモーキーやミラクルズとポーカーを楽しんでいた。私は、スモーキーの注意を引きたいと思い、部屋を行ったり来たりした。けれども、彼は目を留めなかった。
 私はとにかく、スモーキーに鮮やかな印象を与えることができず、家に帰ると、彼の曲を覚えはじめた。そして数年後に、彼が書いた≪トラックス・オブ・マイ・ティアーズ≫と≪ウー・ベイビー・ベイビー≫をレコーディングし、2曲はそれぞれ、大ヒットした。

 スモーキーは1983年に、私をモータウンの25周年記念コンサートに招き、彼とその2曲を歌うよう求めた。コンサートは、テレビでオン・エアーされ、マイケル・ジャクソンが≪ビリー・ジーン≫で、全国の視聴者に初めてムーンウォークを披露したことでも、話題をさらった。
 私はステージで、スモーキーの優しい気づかいを感じながらも、膝をがたがたと震わせていた。そして、彼の目を見つめて、≪ウー・ベイビー・ベイビー≫を歌う間、威圧感と爽快感を同時に感じていた。そのステージは,私のキャリアのクライマックスの一つになった。

 1972年の後期、私はジョン・ボイラン(プロデューサー/マネージャー)の協力を得て、堅実にキャリアを積んでいた。けれどもレコードは、芸術的にも商業的にも思わしくなかった。レコード会社の思惑と私の志向が、まったく違った。私は、≪ハート・ライク・ア・ホイール(悪いあなた)≫のレコーディングを、キャピトルに持ちかけていたが、聞き入れられなかった。
 会社は、私とベーカーズフィールド・スタイルのカントリーのプロデューサーを組ませたいと考えた。ベーカーズフィールド・サウンドの中には、マール・ハガードを含めて、よいレコードがあったものの、私の願望には、ほど遠いスタイルに思われた。私は、いろんな音楽表現の中から、すばらしいと感じるものを取捨選択できるようになりたいと願っていた。

 私は契約上、キャピトルからもう1枚レコードを出す義務があった。オファーはすでに、コロンビアのクライヴ・デイヴィス、ワーナー・ブラザーズのモー・オースティン、新レーベル、ベアーズヴィルのアルバート・グロスマンをはじめ、さまざまなレーベルから届いていた。
 私は、アサイラム・レコードのデイヴィッド・ゲフィンのオファーを受けることにした。アサイラムは、ゲフィンが設立したばかりのマイナー・レーベルで、数少ないアーティストをとても尊重した。ジョンはいち早く、イーグルスをアサイラムと契約させ、その試みは、成功していた。
 レーベルは急速に、シンガー・ソングライターとL.A.のカントリー・ロック・サウンドの拠点になりはじめていた。そこには、ジャクソン・ブラウン、ジョニ・ミッチェル、J.D.サウザー、ジュディ・シルがいた。
 ゲフィンは、私が音楽的な志向を理解されず、適切なサポートも受けずに、次のレコードを出せば、失速しかねないと思った。彼は、次のレコードをアサイラムから出せるよう、私がキャピトルと掛け合うべきであり、キャピトルは、次々作をリリースすればよいと言った。

 ジョンが、当時のキャピトルの社長バスカー・メノンと会うセッティングをした。私は、メノンと会うことに少しバツの悪さを感じた。というのも、ハーブ・コーエン(マネージャー)が前に、私のスキャンダラスな出来事を持ち出し、メノンを脅して、キャピトルから私を解放しようとし、失敗していた。
 それは、はったりだった。私は、何も同意していなかった。ハーブは、アーティストとマネージャーの信頼関係を、一瞬にして壊す手段を使い、私は、彼と決別した。また、ハーブは私に、メノンを敵視するよう、仕向けていた。
 私は初めて、メノンと会い、本当に驚いた。彼は、インド出身の、魅力的で知的で洗練された、礼儀正しい紳士だった。

 弁護士のリー・フィリップスが、私に代わって話をする間、私は、静かに聞いていた。メノンは、私を手放したくはないと答え、ロックか、カントリーか、歌うジャンルを選ぶよう勧めた。私は、選びたくなかった。そして、≪ハート・ライク・ア・ホイール≫を歌いたかった。
 メノンは、フィリップスの言葉巧みな説得に応じるように見えなかった。だから私が、自分で話すことにした。

「メノンさん、どうか、私を手放してください。ここにいたくないんです。私には合いません。それに、私は要らないと思います。ここには、ヘレン・レディとアン・マレーが、レコードの売れる女性シンガーが、二人もいます。どうか、私を放してください!」

 私たちがそれぞれ、驚いたことに、彼は、態度を軟化させた。そして私は、ゲフィンと契約する自由を手に入れた。

『Simple Dreams : A Musical Memoir』By Linda Ronstadt
訳:中山啓子
[次回12/14(月)更新予定]