『Jazz Visions : Lennie Tristano And His Legacy』By Peter Ind
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『ジャズ・ヴィジョンズ:レニー・トリスターノ・アンド・ヒズ・レガシー』ピーター・インド著

●第7章 ア・リフレクション・オン・レニー・アズ・アイ・ニュー・ヒムより

 レニー・トリスターノは、秀でた音楽的才能の持ち主であり、並外れた努力家でもあった。彼は、演奏技術を磨くため、ひたむきな努力を重ねていた。

 彼がかつて、私に語ったところによれば、出身地のシカゴでクラブにレギュラー出演している間に、アート・テイタムのソロを比較的楽に、繰り出せるようになったという。レニーはその頃、毎晩のように彼の演奏を聴きにくるカナダ人の本職の画家と親しくなった。彼が口にしたその画家の名前は、思い出せない。
 とにかく画家は、レニーがまだ、彼自身を音楽で表現していないと断言した。レニーは最初、取り合わず、画家の意見を聞き流していたが、話をするたびに繰り返し、同じ指摘を受けた。
 この人物の言葉が、彼の耳に残った。彼は、アート・テイタムの音楽を器用に弾きこなし、客を楽しませていたが、結局、それがインプロヴィゼーションにおける彼自身の能力を高めることにはならないと悟った。
 ジャズはレニーにとって、本質的に即興演奏の“妙”だった。

 レニーは、指導者としても、優れていた。彼はいつも、穏やかでありながら、きわめて率直に指導した。彼の忌憚のない意見は、悪意がなく、反感を買うことは、まずなかった。彼は常に、静かな口調で、優しく丁寧に教えた。したがって彼が、単刀直入に意見をすると、彼の目が見えないこともあり、生徒は、不意を打たれて驚き、狼狽するきらいがあった。
 私の友人の体験談が、それを物語る。友人のベース奏者は、隣人に頼まれて、彼の息子をレニーのレッスンに連れて行った。ところが、彼らと対面したレニーは、ベース奏者がレッスンを受けに来た本人と勘違いをした。
 彼は、ベース奏者に、「バードを聴いているかい?」と尋ねた。
 レニーは常々、バード(チャーリー・パーカー)のレコーディングを研究するよう、奨励していた。ジャズ・ミュージシャンは一様に、バードに敬意を払い、綺麗事を言ったものの、その多くはバードの音楽に対して、ひそかに畏敬の念を感じ、吸収するどころではなかった。
 だが、ベース奏者はレニーの質問に対して、バードを聴いていると断言した。すると、レニーは即座に、「だが、君のその返事から、聴いていないことがわかる」と答えた。彼は、鋭い洞察力をもち、人の本心を見抜いた。そしてそれが、不本意な威圧感を与える一因にもなった。

 レニーは、気概を持っていた。フリー・ジャズというユニークな芸術形式が、アメリカで認知される、はるか以前に、彼は、その革新的な演奏スタイルを実践していた。そして、自由に演奏し、生計を立てることはできないと思い知った。 
 レニーは次第に、指導に力を注ぐようになり、彼にふさわしい条件の下でのみ、演奏を披露した。彼は、自身の演奏に対する冷ややかな反応を、十分に承知していたように思われる。
 レニーが、初めて試みたフリー・フォームによるレコーディングについて、次のように語っている。

「1949年5月に、キャピトルでレコーディングをしていた時のことだ。私たちは、型通りのセッションを終えると、新たに2曲、フリー・フォームで吹き込んだ。《イントゥイション》と《ディグレッション》だ。
 だが私たちが、演奏しはじめると、エンジニアはすぐさま、「どうにもしようがない」と言わんばかりに両手を上げて、マシーンを放置した。A&Rマンや経営陣は、私の頭がいかれていると思い、報酬を支払ってリリースすることを拒絶した。
 フリー・フォームは、一定のコード進行がなく、拍子記号もなく、特定のテンポもない、自由な演奏を意味する。私は数年、仲間のミュージシャンとこのスタイルで演奏していた。したがって、それは決して、偶然生まれた、あるいは適当に作った音楽ではなかった。

 レコーディングの数カ月後に、当時ディスク・ジョッキーとして名を馳せていたシンフォニー・シド(・トーリン)が、このフリー・フォームを録音した2枚のアセテート盤を、かろうじて手に入れた。彼は毎晩、自分のラジオ番組をもっていて、数年にわたり、週に3、4回、この2曲を流した。
 そうして、発売を求める声が次第に高まり、キャピトル・レコードは、それを聞き入れる形で、リリースを決めた。そしてもちろん、私に報酬を支払った。
 フリー・フォームが15年後に、ジャズ・シーンで盛んになったことを鑑みると、この一連の出来事は、非常に意味があると思う。2曲はともに、完全なフリー・インプロヴィゼーションだった。だが、それを聴いた人々の多くは、あらかじめ構成されたものと捉えた。
 私の知る限り、名高いミュージシャンの中でただ一人、この音楽の本質を正しく理解したのが、マイルス・デイヴィスだった」(『サイドマン』ビリー・バウアー著、1997年)

『Jazz Visions : Lennie Tristano And His Legacy』By Peter Ind
訳:中山啓子
[次回11/16(月)更新予定]

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