――どうやって消化されたんですか。
木久蔵 落語の世界に没頭したり、仕事は仕事だって気持ちを切り替えたり、あんまり考えないようにしたり、いろいろでしたね。
――お弟子さんたちはどうされていましたか。
木久扇 みんなそれほど深刻じゃなかったですね、「そうですか」っていうくらいでね。なんだ、心配してねえんじゃないか、って思うくらい。でもそれは思いやりだったんだろうと思います。「これ、からだにいいですよ」ってすごい高いはちみつ買ってきてくれたり。それに僕に一切、病気のことを尋ねなかった。こんなことがありましたって、毎日の面白い出来事を話してくれたりして。そういう気配りでした。普通にしててくれました。ありがたかったですね。
――通院治療ということですが、高座や収録もない生活を、どのように過ごされていたんですか。
木久扇 本の原稿を書いていましたから、イラストとかも。だから時間は余らなかったです。治療は1回3分なんだもん、あとは全部、ぼくの時間。
木久蔵 忙しくしてるんですよ、休んでるあいだも。
木久扇 でもね、「笑点」の放送で、僕の座布団が空席になっているのを見て、不安や悔しさを感じました。テレビの世界はシビアだから、すぐにほかのだれかに代わられるだろうなあと思って。気持ちは、絶対にあそこに戻る、ほかのだれにも座らせないって……。
――「笑点」の仲間からはどんな言葉をかけられましたか。
木久扇 「あ、戻ってきちゃった。やっぱり木久扇師匠は強いね」だって。スタッフはじめ、みなさん、僕の座布団を空けたまま、待っててくれたんです。
木久蔵 そういうときに結果が出るんじゃないかって思いましたね、いままでどう過ごしてきたか、生き様というか。
■「僕が居てあげなくちゃ」と気がついた
――患者としての木久扇さんは何点くらいでしたか。
木久蔵 優等生でしたよ。先生に言われたこと、ちゃんとやるんで。
木久扇 いい先生に出会えたしね。
木久蔵 先生にこうしたら治る確率が高いです、と言われたら決断も早い。「治る」っていう前提で動くから。胃がんの手術のときに結局やめられなかったお酒も、やめたよね。
木久扇 うん、胃がんのときにはやめられなかった。落語会がありますでしょ、そのあと必ず打ち上げがあるの。それが嫌いじゃないから付き合っちゃう。それがばんたび(番度)でしょ。
木久蔵 (高座で)気持ちが上がっちゃってるから飲みたいんですよ。
木久扇 出来がよかったりするとね、とても気分よく。