賀来賢人さん(撮影/横関一浩)

守りに入っている自分に気づいた

「このときは舞台の仕事を全然やったことがなく、周りのベテラン俳優さんたちはウケてるのに、僕だけスベリまくっていたんです。なんでできないんだろうって悔しかったですね。そんなときに池田(成志)さんに、『間を1個ずらしたら、ウケるよ』というようなことを言われて。で、それを言われた通りにやったら、本当にウケたんですよ。そのとき、『あ、ノリでやってるんじゃないんだ、この人たち』って初めて気づいたんです。全部、技術でやってるんだなって。笑いとか喜劇って、それまで一番簡単に見えていましたけど、一番難しいことなんだなって思ったんです。それが自分のなかではすごく大きくて。そこから、自分で考えて、いろいろ試行錯誤していくなかで、ウケるようになって、ちょっとずつ自信がついてきました」

 もうひとつ、賀来さんに大きな影響を与えた出来事がある。新型コロナウイルス感染症の流行だ。コロナ禍で行われた「AERA STYLE MAGAZINE」(Vol.48、2020年)のインタビューで賀来さんはこう語っていた。

〈30歳から40歳までの間に本当に自分のやりたいことを突き詰めたい〉

 そう思うようになったのには、「守りに入っている自分に気がついたから」と話す。

「コロナで僕たちの仕事は全部ストップして、当時はこのまま本当に仕事がなくなると感じていました。今後どうしようかなって思って、自分で作品を作ったりとかもしたんですけど、あるとき、守りに入っている自分に気がついたんです。売れなくてつらい時期を脱して、いいところに行ったことで、今度はそこから落ちるのが怖くなっていました。でも、僕たちの仕事って、なかなか安定しないじゃないですか。それなのに、心のどこかで、安定したいとか、今のポジションを守ろうとしていて。コロナで仕事がなくなって考える時間ができて、そうじゃないよなと思ったんです。この仕事ってやっぱり浮き沈みがあって当然だよなと思い直して、そこから、自分のなかで、『攻め』の姿勢でいこうと考えるようになりました」

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