写真家の篠山紀信さんが4日、83歳で亡くなった。篠山さんは1978年から97年の約20年間、「週刊朝日」の表紙を撮っていた。「女子大生シリーズ」は名物企画で、その後飛躍する俳優、タレント、アナウンサーが輩出した。高田万由子さんもその一人だ。篠山さんとの出会いからその後の親交について、高田さんが追悼文を寄稿した。
【写真】篠山さんが撮影 1991年に週刊朝日の表紙を飾った高田万由子さんはコチラ
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20歳で芸能界に入ってから現在まで篠山さんとの出会いが全ての始まりだった。
大学2年の時、初夏の昼下がり。
週刊朝日女子大生シリーズの撮影場所だった成田のスタジオでメイクを終え、スタイリストさんに用意をしていただいたサマードレスに着替えると、もじゃもじゃ頭の篠山紀信さんが忙しそうに助手さんに指示を出しているところだった。
自然光の明るいスタジオ内で、挨拶もままならぬまま、ポラロイドカメラでカシャカシャと数枚。そのまま、「はい撮りましょう!」と声をかけてくださり、「いいね! いいね!」とファインダーを覗く篠山さんのペースで、カシャッ、カシャッとシャッターを切る音を心地よく感じたのも束の間。あっという間に撮影が終了したのを覚えている。
10日ほど経って、週刊朝日の編集者から「写真が出来たので篠山さんのスタジオに来てください」と連絡をいただいた。
大学の帰り道にふらりと立ち寄った赤坂の篠山スタジオ。写真選びを終えて篠山さんとおしゃべりをしていると、ミノルタ(現・コニカミノルタ)の担当者との打ち合わせがあるから少し待ってて、と。
しばらくして「新しいCMに使うキャラクターを探しているらしいんだけど、こちらの万由子さんでどうかしら?」と突然ミノルタの方に紹介された。とんとん拍子にミノルタのCM出演が決定。