忌野清志郎、YMO、佐野元春など、「この人(たち)がいなければ、日本の音楽シーンはまったく違うものになっていただろう」というミュージシャンが存在する。チバユウスケはまちがいなく、その一人だ。
【貴重写真】25年前のチバユウスケさんはこちら!最高のロックスターだ
明治学院大学在学中にロックバンド・THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ザミッシェル・ガン・エレファント)を結成。1996年にシングル「世界の終わり」でメジャーデビューを果たした。70年代~80年代のパブロック、パンクロック、ガレージロックなどの影響を色濃く感じさせるバンドサウンドは、当時のメジャーシーンにおいてかなり異端だった。海外のロックばかり聴いていた筆者が最初にミッシェルの音楽を耳にしたときの感想は「すごいバンドだ。けど、これは日本では売れないかもしれない。カッコよすぎる」だったのだが、そんな浅はかな予想は完全に裏切られることになる。
シングル「ゲット・アップ・ルーシー」「バードメン」「G.W.D」などのスマッシュヒットをきっかけにバンドキッズの心をつかんだミッシェルは、1998年8月、東京・豊洲で行われた第2回フジロックフェスティバルに出演。観客は洋楽ファンが大半だったと思われるが、ライブは爆発的に盛り上がった(筆者もステージ前方でライブを観ようとして、もみくちゃになりました)。「俺たちが日本のザ・ミッシェル・ガン・エレファントだ!」というMCは今や伝説。このときのライブを振り返ってチバは、「ライブ中に何度か中断したんだよね。前の方の客が大暴れして。俺らも若かったし、当時は洋楽至上主義みたいな雰囲気もあったから、“ぶっつぶしてやる”なんて思ってたんだけど(笑)、やってみたらめちゃくちゃ盛り上がったし、関係なかったね」とコメントしている。
99年1月には横浜アリーナでオール・スタンディングのライブを開催。今では当たり前の“アリーナのスタンディングライブ”だが、この形式のライブを始めて行ったのもミッシェルだったのだ。